中国の宗族

昨日の歴史教育研究会で猪原君が発表、朝鮮について豊島悠果さん、中国について青木敦さんがコメントした。

猪原君の発表は前半が中国の宗族(そうぞく。父系同族集団)の説明、後半が唐代の家族と武則天(則天武后)や宦官の問題。
宗族の歴史は、
(1)周代の宗法(戦国期までに崩れる)
(2)宋代の士大夫の宗族形成
(3)(明初にいったん弾圧されるが)明代中期以降とくに清代の宗族の大衆化
の3段階で理解できる(革命で弾圧されたが、改革開放政策下で復活)。
発表を聞いていて思ったのだが、従来の周代だけ教えるやり方は、紀元前から19世紀までずっと同じ状況が続いたと誤解させる点で、インドのカースト制(ヴァルナ制)の教え方と同じだ。これではいけない。

宋代以降の宗族形成・拡大の主な要因は、
(イ)合格者とその一族はものすごい特権が得られるが世襲はできない科挙に、合格者を出し続けるため(遠い親戚までの大勢の中から優秀な子供を集め、資金も一族が共同負担して英才教育すれば、合格の確立は上がる)
(ロ)実際の生活・経営の単位である小家族が、激しい社会流動のなかで生き残るための相互扶助(特に明清代に切実になる。現代も?)
に求められる。ただし地域差なども大きい。華北より華中南で宗族が発達するのだが、その原因は十分わかっていない。

宗族に必要なものは一般に「族譜」、「族産」(祖先祭祀、子女の教育や相互扶助に用いる共有財産)、「祀堂」の3点セット。祀堂での儀礼には「朱子家礼」(朱熹が編んだ冠婚葬祭マニュアル)が必須。
※朱子学の広がりについては、科挙試験の基準とされて士大夫社会を支配したことだけでなく、明清以降に家礼を通じて地方社会・民衆に浸透したことを重視すべきである。朱子学の成功は、科挙の受験マニュアル群の一方で冠婚葬祭アニュアルを作るなど、「難しい理論」だけでなく「わかりやすいマニュアル本」の両方を作り出した点にあった。

こういう宗族の仕組みは、
(a)それを成り立たせるのは父から息子への血脈(気の流れ)である。それを継続させる(子孫を残す)ことと父系の祖先を祀ることが男子の義務である。
(b)子供は父の姓を受け継ぎ、結婚や養子によって姓を変えることはありえない(→異姓養子つまり族外からの養子は原則として不可能)。
(b)財産所有権は基本的に男性のみにあり、財産相続は男子均分相続をおこなう(ただし祖先祭祀の権利は嫡長子が単独相続する)。
などの観念や仕組みをもつ。6月例会で解説した日本の「家」との違いを確認しておきたい。
※ある宗族で同じ世代(輩行)に属する男性は全員が、二字名前ならその最初の字を同じにする、一字名前の一族なら名前の部首を揃えるなどの方法で、世代を表示する(世代が上なら実年齢は下でも地位が上になる)。どの世代がどの文字を共有するかは、世代順に木-火-土-金-水に関わる字を順番で使うなど、パターンがある。日本やベトナムで見られる、先祖から子孫へと代々同じ字を使い続けるやり方は好まれない。

歴史的に大事なことは、中国の宗族も日本の家も、西暦1000年前後から支配層中心に形成されたものが、近世後期には村落社会まで普及していく(近世後期には朝鮮の「門中」やベトナムの「ゾンホ」など宗族に類似した父系同族集団の形成も進む)という共通のパターンである。近世後期について言えば、それは識字率の向上などと並行して、文化や宗教など多くの面での大衆化が進む時代であることを銘記しておきたい。

なお、宮崎市定の「宋から近世説」を下敷きにした与那覇潤さんの「中国化する日本」が、「セーフティーネットとしての宗族の発達」を宋代以降の特徴のひとつとしている点を猪原君が紹介したが、青木さんは「宋代はまだ中世だと思う」と言っていた。その論拠は、国家の社会に向き合うやり方がまだ大きくは唐以前と同質だという点にあるように聞こえたが、宗族や朱子学が社会全体に広がってはいない(地域的にも階層的にも)という点をつけ加えることもできそうに思われる。時代区分上の興味深い問題だろう。
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中国宗族史の諸段階と中世・近世

桃木先生
 7月例会の内容について、いち早く知ることができました。大変ありがとうございます。そして、先生のブログ記事を見て、二三質問をしたくなりました。
 猪原さんによる中国宗族史の時代区分ですが、周の宗法の次がいきなり宋代士大夫の宗族形成に来ることに違和感を感じました。秦漢時代は?、そして何よりも魏晋南北朝隋唐時代=京都学派的中国中世に関して言及はなかったのでしょうか?京都学派的中国中世は貴族制の時代です。この貴族による宗族形成に全く言及はなかったのでしょうか?先生のブログではまだ触れられていない猪原さんの発表の後半の武則天を巡る問題には当然関わることです。それとも、唐帝室ないし武則天の問題は、唐は「拓跋国家」だから「遊牧民的家族」という視点だけで説明できるとでもいうのでしょうか?隋唐とも中華王朝であるのだから、中華文明的要素を全く無視しできたわけではない筈です。唐帝室は遊牧民の末裔だとしても、山東四姓などの漢族貴族と自らの位置づけを相当意識していたと思われます。それは北魏帝室拓跋氏にしてもそうですが、隴西李氏を詐称した唐帝室李氏には、もっとこだわりがあったと考えるべきではないでしょうか。私は詐称を詐称と切って捨てるだけではなく、その意味や意義をこそ考えるべきだと思います。ついでながら、私が「拓跋国家」という用語に否定的なのは、隋唐に関しては何でも「拓跋国家」で説明できるとの雰囲気を作り出していることにあります。中国宗族史を鳥瞰しようというのなら、京都学派的中国中世の貴族制に関してそれなりの言及が必ずあるべきと思います。
 次に、青木先生が宋代は中世だと思うと言われたということですが、先生の書かれ方からみると、歴研的中国中世説=宋代以後中世説ではないように受け止められます。むしろ、唐代も宋代も中世に含めているのかな?と思われました。「国家と社会への向かい方」からと言うことですが、この場合の中国古代・中国中世の定義はどのようなものなのでしょうか。それから、青木先生は近世に関しては、岸本美緒先生が述べられているような(ただしこれは私が大学院生の頃の歴研大会での発表の記憶によるものですが)、中国も16世紀から世界史的な近世に入る、といった考え方で捉えられているのでしょうか。
 今回は例会参加がではなかったことは大変残念でしたが、先生のブログでの紹介は、大変よい刺激になりました。重ねて御礼申し上げます。
頓首
高橋 徹

No title

高橋先生
ご質問・コメント有り難うございます。
今回のレジュメはHPに掲載されるはずですので、詳しくはそれをご覧いただくとして、猪原君の発表の宗族に関する部分は、「中国家族通史そのものの鳥瞰」ではなく、「近世以降に、これが漢族社会の「伝統的な」親族集団の姿だ、とみんなが思ったもの」がいつどうやって形成・普及されたかを解説したものです。
唐代については後半の「唐代における家族と女性」で解説したのですが、昨日の私のブログではそこまで書けず申し訳ありません。かれが解説したのは、唐代の氏族・家族の構造や仕組みは、宋代以降に普及していく宗族モデルとは多くの点で違っており、上記のような「近世以降の伝統」とつなぐことはできない(そこに「唐宋変革」がある)ということです。なお宗族の説明で、かれも青木さんも、華北と華中南の違い(近世宗族モデルは基本的に華北のものではない)を強調しています。

換言すれば、氏族集団はどこにでもありますが、日本古代の氏が中世以降の家とは根本的に違うように(6月例会のテーマ)、唐までの中国氏族と宋以降の宗族は違うと考える(ただし宋代のモデルが全面普及するのは清代だが)ということです。

私は背景にある個々の研究の正否をじゅうぶん判断できませんが、時代差および華北と華中南の差を無視して、「秦漢や隋唐でも一歩一歩宗族形成が進んでいた」というまとめをしたら、それこそ「一直線の発展を描く国民国家史観(中華史観)」になると思います。ちなみに今回の発表及び今季の発表シリーズで、隋唐が「タクバツ国家」かどうかという問題は、いっさいに議論していません。むしろ私自身が残念に思っているのは、北朝~隋唐社会における遊牧的家族原理の影響の有無が議論できなかったことです。

青木さんの時代区分論も後日HPに出るはずですが、概説書・教科書などのかたちで全面的に展開してほしいと私も思っています。かれは斯波義信先生の弟子ですから、おそらく時代区分には開発や国家・社会関係など複数のメルクマールがあり、歴研派の土地所有一元論とは全然違います。
ではどうぞ、よい夏休みをお過ごしください。
では、

謝辞とお詫び

桃木先生
 早速にご返答いただきまして、まことにありがとうございました。同時に、今省みると質問の中で根拠のない断定による強すぎる言葉遣いがあったことの無礼をお詫び申し上げます。
 ブログは、例会に関する速報という性格があり、例会での議論を余さず伝えられるものではないことは認識していますが、私が一番訊きたいと思ったことを強調しすぎて、「このことが乗っていないと言うことはこうだったのか?」と一方的な断定でコメントを書いてしまったことは、今からみれば慎むべきことでした。お詫び申し上げます。
 猪原さんは、唐宋変革と宗族に関して大変説得力のある議論を展開されたことがわかりました。レジュメがアップされるのが楽しみです。また、青木先生のコメントからは、最近低調になっている時代区分論に関して新たな展開がみられるのではと、これも大変興味深いところです。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
高橋 徹
頓首

Re: 謝辞とお詫び

> 桃木先生
>  早速にご返答いただきまして、まことにありがとうございました。同時に、今省みると質問の中で根拠のない断定による強すぎる言葉遣いがあったことの無礼をお詫び申し上げます。
>  ブログは、例会に関する速報という性格があり、例会での議論を余さず伝えられるものではないことは認識していますが、私が一番訊きたいと思ったことを強調しすぎて、「このことが乗っていないと言うことはこうだったのか?」と一方的な断定でコメントを書いてしまったことは、今からみれば慎むべきことでした。お詫び申し上げます。
>  猪原さんは、唐宋変革と宗族に関して大変説得力のある議論を展開されたことがわかりました。レジュメがアップされるのが楽しみです。また、青木先生のコメントからは、最近低調になっている時代区分論に関して新たな展開がみられるのではと、これも大変興味深いところです。
> 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
> 高橋 徹
> 頓首

高橋先生
こちらこそ言葉足らずな記事を書いて申し訳ありませんでした。
先月が「古代・中世の側からものの「始まり」を見る」目的だったのに対し、今月は近世・近代の側から「伝統の完成」を見るという目的で、両方を相互補完的に理解してもらおうと思ったのですが、説明不足もあり、ほかの方からもいろいろツッコミを受けました。
「文脈」をよりよく理解していただけるよう、アナウンスの方法などを工夫したいと思います。
今後も遠慮なくコメントをお寄せください。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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