スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

史学概論でのジェンダー・家族史

今週水2の「歴史研究の理論と方法」(史学概論)で、ジェンダーと家族を担当した。
先々週の歴史教育研究会も踏まえて話したおもな内容は、
1.女性史とジェンダー史の違い。
2.前近代家族に関する俗説と近代家族の問題
3.日本中世における権力とイエの成立

コメントペーパーを見ると、高校や大学でジェンダー関連の授業を聞いたことがある、本を読んだことがある、という学生が多い。その点は昔と大きな違いだ。
1で話した、ジェンダー史は女性史だけでなく男性や性的マイノリティも扱うという点が目新しかったようだ。また、2で話した「前近代にも多数派は核家族で、昔は大家族が一般的だったというのは俗説にすぎない」に驚いたという感想も多かった。
同じ2で、近代に家族がプライベートな領域となり、女性が社会性を剥奪された(他方、男性は家事・育児から切り離されたので、両方に損失があった)という点に着目した感想・コメントも多かったので、このへんはねらい通りであった。父系と父権、母系と母権は別問題であること、姓のない社会もあることなどの話も、いちおう印象に残ったようだ。
3は例によって時間不足で、近世以降の展開がほとんど話せず、感想も少なかったが、天皇制がジェンダーや家族と切り離せない問題であることは、いちおう伝わったようである。

数日前にこのブログで書いた、ジェンダーを全員が学ばねばならない3つの理由をこの講義でも話したのだが、(東アジア型)少子高齢化との関わりは、いまいちピンとこなかったようだ。学生に日本・韓国が少子化の熾烈なトップ争いをしているといった現代社会の基礎知識がないせいかもしれない。
これはもちろん、政治・経済などいろいろな要因がからみあった複雑な問題なのだが、何度も話したり書いているように、家事・育児や老人介護の社会化、婚姻外の出産などへの強い忌避(子供を産み育てることを困難にしている政策の背景に、そういう「文化」がある)が大きな理由であることは、常識にならねばいけないだろう。

もう1点、月曜のCSCD授業のときにディスカッションしそびれた問題なのだが、こういう授業でジェンダーや家族のありかたの多様性を強調するのは、過度に単純化され歴史的事実にも反する「日本の家族の伝統」などで人を縛ろうとする現実の政治・社会的動向に反発するためだが、他の分野の教育が「唯一の正解を叩き込む」やり方のままでジェンダーや家族の問題だけ「いろいろあっていいんだ。それぞれ自由に選択しよう」と言われると、かえってどうしていいかわからなくなり「自分で選ぶなんてしんどいことをするより、だれかに決めてもらいたい」と考える人が増えること。「自由からの逃走」という古くからの命題である。

「だから他の分野が変わるのを待つ」というのはもちろん正しくない。ではどうしたらいいか。
いろんな知恵を総動員する必要がある。

大勝の翌日のマリーンズは、拙攻で残塁の山、おまけにリリーフ陣が打たれて逃げ切れないという、悪いパターンだった。2位ファイターズもひどい試合で負けたが。

クラシカ・ジャパンは「20世紀の巨匠たち」でピエール・フルニエのチェロ。なつかしい。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。