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逆は必ずしも真ならず

昨日の「歴史のデザイン」でも質問が出たが、「ジェンダー史」と「女性史」の違いは、まだじゅうぶん理解されていない(歴教研の4月例会で三成美保さんが明快に説明してくださったが)。もちろんこれは、他のあらゆる学問と同様、人によって使い方が違い、安易な一般化はできないことに注意が必要である。

学問として先に発達した女性史(女性学)は、文字通り女性を扱った。それは男性中心の世の中で作られた歴史学や他の諸学を女性の立場で見直し、女性も関する記述を広げた点で大きな意味があった。ただしやがて、そこに「男性中心社会への批判(アンチテーゼ)にとどまっている」「”特殊分野の歴史”として”ゲットー化”している」というふたつの問題点が顕在化した。
前者は「巨人批判をいくらしても、それだけではプロ野球を支配する巨人中心主義を本当にひっくりかえすことにはならない」という理屈で理解できるだろう。「逆は必ずしも真ならず」という鉄則は、数学なら容易に理解できても、人文学や社会科学でもしばしば忘れられる。結果は現在の教科書に見られるとおり、男性中心の枠組みを変えずに「女性のことも書く」に終わりがちである。
後者はユダヤ人のゲットーからの類推で言われたことで、支配権力が立ち入れないゲットーを確保することは、自分たちの存在を否定されるよりはずっとましだが、そこにいるかぎり一般社会に浸透することはできない、という考え方である。

こうした反省のうえに出現したジェンダー史(ジェンダー学)は、男女間の関係のありかた、男性(や他の性的マイノリティ)を含めた全体構造などを問題にする学問であって、そこに性差(にもとづく支配や不平等)があるかぎり、社会や歴史のあらゆる領域を扱いうる(実際にできている領域とそうでない領域があるが)。

ちなみにこれは、女性史(女性学)が意味を失ったという話ではない。現在でも日本史などで、すぐれた研究がどんどんおこなわれている。「女性の研究を男性研究者がふつうにするようになった」ことなども、その成果と言えるだろう。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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