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暗記入試しかできない理由

高校を2年で卒業できるようにしようとか、入試を思考力や意欲を見るものに変えろという文科省の提案が話題になっている。

その是非は別として、なぜいままで(歴史はとくに)暗記入試ばかりになっていたのだろうか。

1.実施体制の問題。センター入試のような大がかりな試験は、穴埋めや択一方式でしかやりようがない。国立大だけでなく、「推薦入試とアラカルト方式での利用で自校入試の手間を省く」という禁断の木の実を食べてしまった多くの私大も、自力で暗記入試の出題・採点をするだけでも苦しいのに、時間のかかる他の方式の入試などいまさやおこなう能力はない。

2.暗記入試で偏差値を競う仕組みが、受験産業や、どの高校が東大に何人入れるかの報道をこととするマスコミにとっていちばん都合がいいことは言うまでもなかろう。受験校の成績向上に血道を上げる地方政治家も。

3.大学の先生で暗記入試でない問題の出題と適切な採点ができる人が全然足りない。「専門論文しか書けない」学者は、入試で無難な問題を出そうとすれば暗記問題しか出せない。高校の先生も、暗記でない受験指導をできる人はごく一部にしかいない。そして大学側も高校側も、「考えるさせ前にこれだけの知識がまず必要」という論理から抜け出せない。

4.暗記入試の採点の「公正さ」への社会の信仰心(裏返せば、論述式や面接で不可避な採点の揺れへの恐怖感)が強すぎる。その背後にあるのはもちろん、教育のなかで入試というものが果たしうる役割への過大評価である。

昨夜は寝ようとしたら、クラシカ・ジャパンでポリーニ独奏、アバド指揮のブラームス「ピアノ協奏曲第2番」という懐かしの演奏が始まったので、思わず夜更かしして聞いてしまった。ドイツの黒い森を黙々と旅し、アルプスの峻倹な嶺や急流に挑み、やがてイタリアの青空のもとで歓喜に踊る、傑作だと思う。

今夜はチャイコフスキーの交響曲5番の終わりのほうを聞けた。
マラソンのロングスパートを思わせる終楽章、これも何度聞いてもいい。
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まとめtyaiました【暗記入試しかできない理由】

高校を2年で卒業できるようにしようとか、入試を思考力や意欲を見るものに変えろという文科省の提案が話題になっている。その是非は別として、なぜいままで(歴史はとくに)暗記入試ばかりになっていたのだろうか。1.実施体制の問題。センター入試のような大がかりな試...

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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