「古典期」の東南アジアとチャンパー

リーバーマンの読書会(大学院ゼミ)は、南アジアの章が昨日でやっと終わり、次回からフランスの章に入る。

今学期から出席したメンバーは、例の Charter Eraとか Charter Stateというコンセプトに戸惑っていた。
後世のモデルとなる政治・文化等の形態をつくった時代・国家を指す言葉で、東南アジアや日本などユーラシア周縁部では紀元後第1千年紀の後半から第2千年紀の前半にかけての時期に求められる。

東南アジア史の場合、この時期(9世紀~14世紀)は従来、西洋の「古典古代」になぞらえて、Classical Eraとされていた。今日の学部の方の英語ゼミ(チャンパー研究の論文集Bruce Rockhart and Tran Ky Phuong (eds), The Cham of Vietnam, Sinagore: NUS Press, 2011)では、そちらが出てきた。平行する川筋ごとに河口の港市国家ができ、海外市場との結びつきをめぐって競合するというブロンソンのモデル(スマトラ、マレー半島、ボルネオなどから導かれたもの)とチャンパーを比較したWilliam Southworthの論文が終わり、14世紀のチャンパーの「古典期東南アジア最後の栄光」を検討したJohn Whitmore論文に入ったところで、古典期の言葉が出てきたのである。
ちなみに、統一国家が強い国家だという単純な国家像を前提にした、仏領期の「不幸な小国チャンパー」という理解にかわって、最近主流になった「海洋王国チャンパー」というイメージは、ウオルタースの「マンダラ」論などもふまえながら地方王権の連合体という性格に着目したのはいいが、交易ばかりで農業を軽視している点に問題がある。上記二論文とも、その点はしっかり考えている。カンボジア(アンコール帝国)や北部ベトナム(大越)ほど大規模ではないが、中部ベトナムはそれなりの農業ができる地域であることは、私も以前から繰り返してきたし、学部英語ゼミでこの前に読んでいたオコナーの大陸部農業とエスニシティに関する論文でもふれられていた。
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まとめtyaiました【「古典期」の東南アジアとチャンパー】

リーバーマンの読書会(大学院ゼミ)は、南アジアの章が昨日でやっと終わり、次回からフランスの章に入る。今学期から出席したメンバーは、例の Charter Eraとか Charter Stateというコンセプトに戸惑っていた。後世のモデルとなる政治・文化等の形態をつくった時代・国家...

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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