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東南アジア学会大会

東南アジア学会大会、2日目の日曜日は、西村昌也さんと岩井美佐紀さんが共同で企画したパネル「ベトナム中部・南部集落の形成と歴史的展開:フエ都城北郊域とドンタップムオイ開拓村落の比較から」に参加。阪大の上田君と元廣さんが共同で発表した。

とても大事な史料、いい研究がどちらの地域にもあり、上田・元廣報告も面白かった。だが、両方の地域を細かく論じようとしすぎたため、発表が多すぎて(長すぎて)全体討論がほとんどできなかったのは残念だった。結果として、ベトナム研究者には面白くても、他地域の研究者を引きつけるには至らなかったように思う。

フエの方は、北部(同時代だけでなく李陳時代も)との比較という点でもとても興味深い。個人的には、チャンパー以来の化州城の跡地が、阮氏によって、必要な場合に色々な地目に転換できる「官田」とされていたらしいという話が面白かった。
近世以降の北部では、官田が村落共有田を指す(公田は国家の直接管理下の土地?)という不思議な観念が見られるが、フエ近郊では明らかに、国家の直接管理下の土地という本来の用法である(これは、北部でも官田は本来は国家の直接管理下の土地だったものが、近世に変化したことを傍証する)。

嶋尾稔さんのコメントを受けて多少議論になったのがそれぞれの地域で「公」とはなんなのか、という問題。
フエ近郊では、ムラにさまざまな文書が残っており、それはムラが「公」だったからだという意見が出たが、「どのレベルのどんなまとまりが公と観念されるか、公だと自己主張するか」といった問題と、「どのレベルのどんなまとまりが、公共機能(成員の福祉、治安維持や紛争解決、国家や社会の基礎単位の役割を果たすこと。。。)を実現するか」という問題がごっちゃになったまま時間切れを迎えたのは、もったいなかった気がする。「公」に対立するものはなんだったのか(漢語の概念で言えば、それは「私」かそれとも「民」か、など)という問題は、まったく議論できなかった。



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まとめtyaiました【東南アジア学会大会】

東南アジア学会大会、2日目の日曜日は、西村昌也さんと岩井美佐紀さんが共同で企画したパネル「ベトナム中部・南部集落の形成と歴史的展開:フエ都城北郊域とドンタップムオイ開拓村落の比較から」に参加。阪大の上田君と元廣さんが共同で発表した。とても大事な史料、い...

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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