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ローカルな歴史とグローバルな歴史

先週の水2の「歴史学方法論講義」(歴史研究の理論と方法)では、教科書(福井憲彦『歴史学入門』)の5章と6章をひとまとめにして、ローカルな歴史とグローバルの歴史の両方から国民国家史観(一国史観)を乗り越える方法について話した。

前半は諸理論の解説で、海域世界論や板垣雄三の「N地域論」をはじめとする多様な「地域」のとらえかた、ウオーラーステインからポメランツ、フランクその他へという世界システム論の展開などを紹介。「近代」が地域の多様性を均質化して国民国家に統合する時代だったこと、また国民国家形成の世界の一体化が同時進行した時代だったこと、「ポスト近代」に入って地域の多様性が再度主張される一方で、グローバル化が国民国家を押しつぶしながら進行していること、などに注意を喚起した。

後半は海域史ネタで中世の博多や琉球、蝦夷地、硫黄や銀など資源輸出大国としての中世日本、禅宗のネットワーク、近世の琉球と蝦夷地の「内国植民地化」などの話を取り上げ、ローカル~ナショナル~リージョナル~グローバルな歴史を連続的にとらえる(具体的には世界史・アジア史と日本史、日本の地域社会史をつなぐ)ことを説いた。
海域史ではおなじみのネタなのだが、最近教養課程で海域史の授業をしていないこともあり、学部2回生主体の受講生には、博多が東シナ海貿易の結節点かつ初期チャイナタウンの歴史の最重要遺跡であること、琉球や蝦夷地の歴史が東南アジア島嶼部の歴史とパラレルに進行することなど、新鮮な話が多かったようだ。

私が重視して、学部の英語論文を講読するゼミでも関連するテーマを取り上げているのが、交易の発展は自動的に国家形成につながらないことである。蝦夷地・北方世界やバンダ諸島(ナツメグの産地)、東南アジアの内陸山岳地帯(香木などの輸出品の宝庫)では、中・近世の貿易で大きな富が流れ込んだはずだが、首長制はできてもほとんど国家形成には至らなかった。ところがそこでは代わりに、国家のある世界と国家をもたない世界の境界上に、両者をつなぐことを基盤とした独自の政権が出現することが多い。海域世界と輸出用森林産物の産地である山・森の世界をつないだシュリーヴィジャヤやチャンパー(という連合体を構成した各地方政権)、日本の朝廷や幕府と蝦夷地をつないだ安倍氏、清原氏、平泉藤原氏、津軽十三湊の安藤(安東)氏、道南の蠣崎(松前)氏などがその典型的な例である。渤海・女真などの東北アジア勢力も似たようなものだろう。それは、「中央」側からみれば辺境の一勢力にすぎないが、後ろに「中央」からは見えない広大な後背地をもつことで成り立っている。

今回の授業に関する大事な質問や疑問が、コメントペーパーにあれこれ書かれてあった。、
・近代世界システム以前には、ヨーロッパに地域間分業はなかったか?
・近代とポスト近代の違いは何に由来するものか? 境目はいつごろか?
・ポメランツのような論法はヨーロッパ中心史観を批判してアジアを重視したことになるのだろうか?
などのグランドセオリーに関わる問題以外にも、

・「地域の視点」を重んじるなら「蝦夷地」という他称(支配者側の、差別感のこもった呼称)はまずいはずだが、そこを呼ぶ適切な自称がない場合にはどうしたらいいのだろう?
という地域・民族問題などでおなじみの難題も出てきた。「フィリピン」がこの問題を典型的にかかえていることはご存じのかたが多いだろう。アッバース朝やオスマン帝国が支配した地域をなんと呼ぶかも、ヨーロッパ人の観念である「中東」は使いにくいが、だからといって、「西アジア・北アフリカ・東ヨーロッパ」などとするのはいかにも冴えない。

研究者がよく打つ逃げの手は「蝦夷地」とカッコをつけることである。また、より客観的な用語として「北方史」という言葉が最近よく使われるが、これは普通名詞なので、「日本列島北方史」という、いささか長い表現にしないと、それが批判的に見ている「日本史」の中でしか使えないという矛盾がある。
「フィリピン」とか「モロ民族」(フィリピン南部に住むイスラーム教徒)などの場合は、「支配者側の蔑称を、被支配者側があえて自分のものにして、そこにプラスの意味を付与するという転換をへている」ために、外部の人間もそれを使ってかまわないのだ、と説明される。「文脈変換」という人類学などの用語が以前からあるが、そういう「本来自分のものではないものを、自分のものにして使ってしまう」ことを、最近の文化研究などではappropriationと呼ぶのだろう。



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まとめtyaiました【ローカルな歴史とグローバルな歴史】

先週の水2の「歴史学方法論講義」(歴史研究の理論と方法)では、教科書(福井憲彦『歴史学入門』)の5章と6章をひとまとめにして、ローカルな歴史とグローバルの歴史の両方から国民国家史観(一国史観)を乗り越える方法について話した。前半は諸理論の解説で、海域世...

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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