西鉄のこと(その2)

西鉄のことは、4月号の鉄道ピクトリアルにも特集があった。
路面電車から出発して都市間電鉄を目ざした点で阪神に似ていたが、諸事情でそれができなかったことが詳しく紹介されていた。
逆に言うと、1950年代には路面電車会社がプロ野球の球団を持てたということだから、当時の路面電車の重要性(と北九州工業地帯の繁栄)がわかるだろう。ちなみに当時の福岡市ではまだベットタウンが拡大しておらず、大牟田線(現天神大牟田線)は完全な主力路線にはなっていなかった。もちろんバス事業などの兼営事業はすでにあったのだが。

それにしても、名鉄や関西各私鉄と同様、西鉄の乗客も最近ずいぶん減っているようだ。

1974年7月の砂津車庫
北九州1(砂津車庫)
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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