世界史に見る家族・親族・婚姻
昨日の歴教研は特任研究員の鍵谷さんが主に家族と婚姻について報告、京大GCOEの桜田さんが人類学の立場から親族論を中心に補足・コメントをしてくださった。
鍵谷さんは現代人が普通と思う家族形態および過去の家についてのイメージが、どちらも近代に「創られた」ものであることを、イギリス近代の例もあげて解説した。
ラスレットが指摘する「(近代人が信じ込んだ)5つのドグマ」というのが問題の全体を端的に示している。
*以下。鍵谷さんのレジュメを一部短縮・加工してある
(1)大規模世帯ドグマ:工業化以前の家族は大規模で親族構造は複雑だったという思いこみ。
(2)一方向ドグマ:いつでもどこでも、家族は大規模から小規模へ、複雑なものから単純なものへと変化してきたという思いこみ。
(3)工業化ドグマ:工業化が大規模家族から小規模家族への変化を引き起こしたという思いこみ(大幅な小規模化は20世紀に入ってから)。
(4)自然的世帯経済ドグマ:昔の世帯は自給自足が世界中で一般的だったという「証明されてもいないし不必要でもある仮定」
(5)労働集団としての世帯ドグマ:工業化以前にはどんな世帯も子どもを生み育てる単位であると同時に物質生産の単位でもあったという間違った仮定。
学校の先生だけでなくマスコミ人にも、(1)(2)(4)などを徹底的に勉強してほしい。
桜田さんの解説で現在の人類学の親族像が、深い研究さえすれば客観的に定義できる出自集団などでなく、日常的なかかわりの中で動態的、パフォーマティブに結びついたり切断されたりする関係性に注目している(それは多面性をもつ紐帯や関係であり、一義的に「親族」と呼ぶべきかどうかは自明でない)、ということを学んだ。
これは、ネーション研究や宗教研究など他の領域の研究と、明らかに同じ方向を向いている。
質疑で、なぜ従来の「ドグマ」は成立・普及したのか、ドグマを信じ込んでいる人に考えを改めさせるにはどうしたらいいかという問題が出されたが、時間切れであまり議論できなかった。
「日本人は昔から夫婦同姓だったから夫婦別姓なんか認めたら家族が壊れる」「昔の日本ではどの家でも母親がきちんと愛情をこめた教育をしていたから、今のようにおかしい子どもはいなかった」などという事実に反するドグマを信じ込んでいる人を説得するのは容易ではない(それにしても、こういうことを強調する人たちが「ジェンダー教育」を「男女の別の否定」や「フリーセックス」にすりかえるようなデタラメを言ってまで攻撃するのは、自分たちのナショナリズムの根幹をなす家族に関する「信仰」--そもそも家族道徳がナショナリズムの根幹にくるところが儒教的なのだが--にとって、家族やジェンダーの歴史を学ぶことが致命的だと感づいているからだろう)。少なくとも「事実を知らせる」だけでは駄目なことははっきりしている。それだけで崩れるものを「ドグマ」とは言わないだろう。
戻って「なぜドグマが成立・普及したのか」は、「近代における「伝統」の創造」(イギリスの学者ホブズボームが提唱した概念)というより大きな枠組みの中で理解する必要があるだろう。
・「近代社会」は一般に、「近代化の直前にあった状態」を「ずっと昔からあったもの(変わらぬ伝統)」と思い込むくせをもっている・・・「昔はどの家も自給自足をしていた」などなど(大航海時代終了後の不景気でしかたなく自給自足にした家族が、世界中にいるのだが)。
・近世後期から近代というのは多くの領域で、それまでは支配者・上層階級にしか実現できなかった「伝統的な」建前やモデルがより広い層に普及していく時代である・・・高い結婚率および「早婚と大家族」などなど(近代的な核家族モデルの普及と交錯するかたちで)。
・そのことを含め、近代化のなかで、それ自体は近代的ではないものごとがたくさん生まれた。人々はこれをも「近代以前からの伝統」と思い込むことが多かった・・・芸事の家元制、「柔道」「相撲」などは、近代化で「幕府や大名の庇護」を失ったプロ集団が生存のために創り出した「疑似伝統」である。
・これらの「伝統」は全体として、「近代世界」や「国民国家」が自己を正当化するために役立つものだった。それらはもはや「神の祝福」を大義名分にできないが、「歴史」や「伝統」には「理性」だけでは不安な人々に安心を与える力があるのだ。ここに「近代」の基本的なパラドックスがある。
九大教養課程に「婚学」という授業が出来て受講希望者が殺到し話題になっているというのを、初めて知った。
今回の月例会も、男子院生がおおぜい来ていた。鍵谷さんも言っていたように、少子高齢化とも関わって関心が高まっているのだろう。
6月は「王権とジェンダー」、7月は「東アジアの家族とジェンダー」を予定している。4・5月に積み残した問題のかなりの部分は、そこで扱えるはずである。たとえば、則天武后と西太后は本当に「悪女」か? 夫婦の「姓」の問題はどう理解したらいいか? 乞うご期待。
鍵谷さんは現代人が普通と思う家族形態および過去の家についてのイメージが、どちらも近代に「創られた」ものであることを、イギリス近代の例もあげて解説した。
ラスレットが指摘する「(近代人が信じ込んだ)5つのドグマ」というのが問題の全体を端的に示している。
*以下。鍵谷さんのレジュメを一部短縮・加工してある
(1)大規模世帯ドグマ:工業化以前の家族は大規模で親族構造は複雑だったという思いこみ。
(2)一方向ドグマ:いつでもどこでも、家族は大規模から小規模へ、複雑なものから単純なものへと変化してきたという思いこみ。
(3)工業化ドグマ:工業化が大規模家族から小規模家族への変化を引き起こしたという思いこみ(大幅な小規模化は20世紀に入ってから)。
(4)自然的世帯経済ドグマ:昔の世帯は自給自足が世界中で一般的だったという「証明されてもいないし不必要でもある仮定」
(5)労働集団としての世帯ドグマ:工業化以前にはどんな世帯も子どもを生み育てる単位であると同時に物質生産の単位でもあったという間違った仮定。
学校の先生だけでなくマスコミ人にも、(1)(2)(4)などを徹底的に勉強してほしい。
桜田さんの解説で現在の人類学の親族像が、深い研究さえすれば客観的に定義できる出自集団などでなく、日常的なかかわりの中で動態的、パフォーマティブに結びついたり切断されたりする関係性に注目している(それは多面性をもつ紐帯や関係であり、一義的に「親族」と呼ぶべきかどうかは自明でない)、ということを学んだ。
これは、ネーション研究や宗教研究など他の領域の研究と、明らかに同じ方向を向いている。
質疑で、なぜ従来の「ドグマ」は成立・普及したのか、ドグマを信じ込んでいる人に考えを改めさせるにはどうしたらいいかという問題が出されたが、時間切れであまり議論できなかった。
「日本人は昔から夫婦同姓だったから夫婦別姓なんか認めたら家族が壊れる」「昔の日本ではどの家でも母親がきちんと愛情をこめた教育をしていたから、今のようにおかしい子どもはいなかった」などという事実に反するドグマを信じ込んでいる人を説得するのは容易ではない(それにしても、こういうことを強調する人たちが「ジェンダー教育」を「男女の別の否定」や「フリーセックス」にすりかえるようなデタラメを言ってまで攻撃するのは、自分たちのナショナリズムの根幹をなす家族に関する「信仰」--そもそも家族道徳がナショナリズムの根幹にくるところが儒教的なのだが--にとって、家族やジェンダーの歴史を学ぶことが致命的だと感づいているからだろう)。少なくとも「事実を知らせる」だけでは駄目なことははっきりしている。それだけで崩れるものを「ドグマ」とは言わないだろう。
戻って「なぜドグマが成立・普及したのか」は、「近代における「伝統」の創造」(イギリスの学者ホブズボームが提唱した概念)というより大きな枠組みの中で理解する必要があるだろう。
・「近代社会」は一般に、「近代化の直前にあった状態」を「ずっと昔からあったもの(変わらぬ伝統)」と思い込むくせをもっている・・・「昔はどの家も自給自足をしていた」などなど(大航海時代終了後の不景気でしかたなく自給自足にした家族が、世界中にいるのだが)。
・近世後期から近代というのは多くの領域で、それまでは支配者・上層階級にしか実現できなかった「伝統的な」建前やモデルがより広い層に普及していく時代である・・・高い結婚率および「早婚と大家族」などなど(近代的な核家族モデルの普及と交錯するかたちで)。
・そのことを含め、近代化のなかで、それ自体は近代的ではないものごとがたくさん生まれた。人々はこれをも「近代以前からの伝統」と思い込むことが多かった・・・芸事の家元制、「柔道」「相撲」などは、近代化で「幕府や大名の庇護」を失ったプロ集団が生存のために創り出した「疑似伝統」である。
・これらの「伝統」は全体として、「近代世界」や「国民国家」が自己を正当化するために役立つものだった。それらはもはや「神の祝福」を大義名分にできないが、「歴史」や「伝統」には「理性」だけでは不安な人々に安心を与える力があるのだ。ここに「近代」の基本的なパラドックスがある。
九大教養課程に「婚学」という授業が出来て受講希望者が殺到し話題になっているというのを、初めて知った。
今回の月例会も、男子院生がおおぜい来ていた。鍵谷さんも言っていたように、少子高齢化とも関わって関心が高まっているのだろう。
6月は「王権とジェンダー」、7月は「東アジアの家族とジェンダー」を予定している。4・5月に積み残した問題のかなりの部分は、そこで扱えるはずである。たとえば、則天武后と西太后は本当に「悪女」か? 夫婦の「姓」の問題はどう理解したらいいか? 乞うご期待。
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昨日の歴教研は特任研究員の鍵谷さんが主に家族と婚姻について報告、京大GCOEの桜田さんが人類学の立場から親族論を中心に補足・コメントをしてくださった。鍵谷さんは現代人が普通と思う家族形態および過去の家についてのイメージが、どちらも近代に「創られた」ものであ...