スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

AAWH(その2)

阪大若手はそれぞれ堂々と発表したので、次の国際会議では質疑もなんとかこなすこと、他人の発表や総合討論でも発言することが課題である。

私の東アジア比較中世史(唐宋変革期の東アジア周辺国家における中央・地方関係)の方のパネルも、参加者は少なかったが報告はそれぞれ面白かった。
早稲田で日本史の修士を取ったファム・レー・フイさん(ハノイ国家大)は、8世紀中葉に出現した安南都護府下の「蘇茂州」という覊縻州について、その成立と大越李朝(1109-1226)に至る変遷、交通ルート上の戦略的位置などについて考証したもの。朝鮮の崔致遠の文集まで含む史料の博捜も感心したが、いちばん面白かったのは、タンロン皇城遺跡のA地区南側で発見された李朝の大型建物跡から、蘇茂州と、同じ北部ベトナム山地の「常新州」の名前入りのレンガがそれぞれ出土しているという話である。最近話題になっているこの建物が、儀礼用の重要な宮殿だったとすれば、そこにレンガを供出(献納)したことも、覊縻州の服属を象徴的に示そうとしたものだという、フイさんの説は説得力をもつだろう。

東大ポスドクの佐藤雄基さんは、日本律令の裁判担当機関に関する規定の変遷から、平安時代に律令制と中央権力は衰退した(「古代」から「中世」への移行の一環として)という常識的理解を批判した。むしろ律令制定当初には地方有力者の在地支配に干渉できなかった国家が、平安中期以降に「権門」の出現と並行して在地社会に手を伸ばすのだそうだ。ただしそれは、古代には在地有力者(有名な首長層=「郡司」など)が強かったことを意味しないという点が佐藤説のミソである。むしろ「国家も在地支配層も弱い」のが律令制の原型で、権門と結びつくことによって在地首長も強まるのだそうだ。これは、中央権力も地方権力もどれもがルースだったと考える「東南アジア的国家論」などとも整合的なとらえ方である。

上のお2人が唐末に始まる狭義の凍瘡変革期を扱ったのに対し、韓国学中央研究院の李康漢さんと私は、モンゴル
時代の高麗・大越における地方行政単位の変動を扱った。
李康漢さんは元で育った忠宣王が14世紀初頭に実施した「牧」の増設(「道」と「州県」の間に位置する)とその「府」への転換などの地方行政改革を、高麗の現実と中国・モンゴルのモデルを組み合わせた革新的な政策ととらえるもの。モンゴルに服属した初期の打撃から立ち直って高麗が可能にした、ネゴシエーションや相互利益を含むモンゴルとの関係がその背景にあるのだという説明は、とても面白かった。

陳朝(1226-1400)の地方行政単位と地方支配(3月にAASで発表した李朝(1009-1226)のルースな状況は、官僚制と皇帝一族(宗室)の地方居住による支配をうまく組み合わせた陳朝の支配下で、大きく変化した)に関する私の発表は、実に修士論文以来もたもたと取り組み、昨年の研究書でもまだ不十分な書き方をした因縁のテーマである。李朝までの状況が高麗前期とまったく同様に、村落連合的な在地の基礎政治単位(大越では郷などと呼ぶ)とその強力なものに州などの名誉称号を与えて上級の行政単位に擬制したものの2層構造--その上に唐や宋の制度にならって道・路などの監督区分を置こうとするーーだったことが議論の前提で、そのうえで陳朝が上下の統属関係を次第に強化し、(これまた李康漢さんの説く高麗後期と同様に)最後は元の制度と同じ路(高麗では道)-府-州-県のヒエラルキーにに移行したことを論じた。研究書出版以来しつこく述べている大越と高麗の比較可能性が参加者に伝わっていればいいのだが。
*宗室の地方下りが分権化につながらなかった理由について予想通り質問が出た。「実証」はできていないが、元・明のインパクトと、農業社会の変動(開発の進展と生産力向上、その一方での土地細分化による小農社会の成立)や、14世紀の気候変動(具体的研究はこれから)などが重なって、「唐宋変革」の最終的帰結が日本型の分権化とは反対の方向に向かった、というのが私の見通しである。

いずれにしても印象深かったのは、フイさん、李康漢さんなどが自国の「国史」の従来の枠組みを超えた、広い視野で研究を議論をしていたことである。古代-中世の時代区分に斬り込む新見解を示した日本史の佐藤さんを含め、これまでその中国中心主義を忌避するあまりに「漢学」や「東洋史学」の蓄積をないがしろにすることが多かった韓越日の学者が、中国中心主義に縛られない(かつ「世界史」にきちんと位置づけられる)「新しい東洋史学」を構築する方向に向かっているとすれば、すばらしいことではないか。

司会のYu Insun先生とご一緒した梨花女子大構内での昼食(左は27日の中華料理、右は28日の韓国料理)
P1060970.jpg P1060981カフェテリアで昼食
宿泊した麻浦(孔徳駅前)のロッテ・シティホテルの地下には、2年前に泊まった際にはなかったベトナム料理屋ができていたのだが、食べるチャンスがなかった。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。