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日本と世界の「中国化」

毎日新聞夕刊に与那覇潤さん(愛知県立大)の著書『中国化する日本』(文藝春秋)が紹介されていた。
これは買わねばいかん。
与那覇さんの論文を読んだことがあったが、日本史の歩みを中世や明治~戦前の「中国化」と、江戸時代や戦後日本を筆頭とするそれと反対方向の動きの交錯のなかでとらえる点は、かつて1990年代に私が論じたベトナムの「中国化」「脱中国」の動き(岩波『世界史への問い』、世界思想社『地域のロゴス』、山川『変わる東南アジア史像』およびリブレット『歴史世界としての東南アジア』などで書いた)と重なる部分があり、とても興味深かった。

ただし与那覇さんの論の目的は、中華世界の研究よりグローバル・ヒストリーに関わるもので、宋代以降の近世中国を世界最初の新自由主義帝国ととらえ、江戸時代の日本で成立した保護主義的な団体型社会をそれへの対抗上成立したものととらえる点がいちばん面白いところだろう。
日中比較については足立啓二氏の専制国家論や宮嶋博史氏の近世化論、近世中国については岸本美緒さんや寺田浩明さん、それにジョヴァンニ・アリギの『北京のアダム・スミス』(山下範久監訳、作品社)などなど、与那覇さんも下敷きにしたであろう議論とも比べてみたい。

日本の学者がグローバル・ヒストリーを頭から本能的に拒否しがちなのに対し、中国の学界が諸手を挙げて飛びついているのも、こうした歴史の違いが背景にあるとすれば、理解しやすい。

だが(おとといの飲み会でも話したのだが)、津波被害と原発事故に黙々と耐える人々の姿は、江戸時代が創り出した団体型社会+勤勉革命というモデルの残酷な帰結を、壮絶な形で示したものではないか。このモデルははっきりと耐用年限が切れているのだ(違ういいかたをすれば、このモデルが有効な状況が最終的に失われた)。だから今の日本には、与那覇さんもいうとおり、大阪市長に代表される「中国化」の嵐が吹き荒れる。
*ついでに「新自由主義史観」がきわめて「中国的」な政治主義であることは、このブログで何度も書いた(豊臣秀吉の政権や大日本帝国がそうだったように、「中国化」の進展によって中国に挑戦して覇権を奪おうとする動きが生じうるが、それはたいてい悲惨な結末に終わる)。

しかし与那覇さんは、今後の日本と世界の「中国化」を不可避とする一方で、今の中国にも世界にも(かつての儒教や社会主義のような)普遍的理念がないから、日本がたとえば憲法9条のような普遍主義的な理念を掲げることによって生きる道もあると考えるのだそうだ。
古い仕組みではもはや対抗できないが、そこに斬り込んでいく方法は必ずある、こういう考え方には親近感を感じる。

新聞記事の最後には、「要するに、歴史は役に立つともっと知ってほしいからこそ、本書を書いたのです」とある。
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荒削りながら中々の読み応え

桃木先生
 先生のこの紹介記事を読んで、『「中国化」する日本』を読みました。「荒削りながら中々の読み応え」というのが第一印象です。宋代以後近世説の今日的意義をこれほど明快に示してくれた著作はなかったと思います。また、高校時代(1980年代)から「社会党や市民団体などの所謂「革新勢力」は何だってこうも鎖国願望を持っているのか?」と思っていたことが、「再江戸時代化」という概念で説明してもらえたように思いました。「これが専門家の常識」という断定に反発を感じるブログ書評も少なくないのですが、個々の専門分野での到達点を踏まえていることは、小島毅さんの議論など、私も幾つか確認できます(勿論それらに対する根強い反論も健在なわけですが)。それらが羅列されていてよく整理されていないという問題もありますが、一般向け概説書ということで、厳密な引用などができなかったためという理由もあるようです。それだけに与那覇さんが参考文献目録の最初で述べている学術論文版には、大いに期待したいところです。そしてこの著書は、(高校教員という立場から言うと出すぎた発言かもしれませんが)個別専門の切り売りではない教養課程の授業がどうあるべきかの一例を示したようにも思えます。
 なお、『「中国化」する日本』に批判的なブログの多くが、自らの「再江戸時代化」指向に無自覚なものや、「中国化」という言葉からよく読みもしないで与那覇さんは「現代中国を礼賛している」と断定している体のものが殆どなのは残念なことです。それから、宋が軍事的に強くなかった故にその影響力は大きくないはずと思い込んでいるのは噴飯ものでした。「朱子学」という普遍の影響力の大きさ(ある意味西欧の啓蒙思想も朱子学的合理性の影響下に形成されたと言いうることなど)や、日本の伝統文化でも鎌倉・室町時代に形成されたもののかなりの部分が宋から学んだものであること(与那覇さんが日本は宋から何も学ばなかったように言われるのは極端な言い方ですが)などをみれば、軍事力だけに歴史を動かす力を認める立場の浅薄さが思いやられます。以上またしたも長いコメントになりましたが、何卒ご海容くださるよう伏してお願い申し上げます。
頓首
高橋 徹

脱中国の難しさ

高橋先生
早速のコメント有り難うございました。
おっしゃることは、いちいちごもっともだと思います。
とくに「個別専門の切り売りでない教養課程の授業がどうあるべきか」。我が意を得たりの思いです。大学院教養教育ではなおさらです。

内容面では宋の影響力ももちろん。

それにしても、アメリカから離れるのが難しいのと同じように、日本を見てもベトナムを見ても、脱中国がいかに難しいかを痛感します。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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