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叡電の思い出、嵐電の夢

京都市電はなくなったが、叡電や嵐電は残っている。
私が大学に入った1974年の写真を紹介する。当時は叡電も嵐電も京福電鉄に属していた。

左から出町柳、元田中、八瀬遊園、鞍馬。元田中では市電との渡り線が残っていた。
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左から四条大宮、嵐山、竜安寺道、白梅町。
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これらを市内中心部に乗り入れさせる形で、京都のLRT建設が可能なはずであり、現に一部は具体案が議論されていると聞く。

かつて路面電車が衰退した一因に、都市の人口分布がドーナツ化したのに路線は旧市街にしか敷かれていないので乗客が減少したという事情があった。他方、欧米や香港、中国などでは、ニュータウンや郊外住宅地区に、都心や最寄りのMRT(地下鉄)駅までのLRTが次々敷かれていると聞く。富山市が「コンパクトシティ」を唱えるように、むやみな都市域の拡大はまずいのだは、あれは低密度の都市域の拡散が問題であって、現に出現した高密度の人口集積地域には、路線延伸がおこなわれてよいのである。
京都の場合も、かつての外周線(東山~北大路~西大路~九条)の外側に路線をほとんど延ばせなかったことが、市電の衰退に拍車をかけた。北山通りや北白川、かつてトロリーバスが走っていた四条通西部、それに御池通西部た山科の南北交通など、中量輸送機関を建設するのに適した区間があちこちにあったのだが。山科~御池などは中量輸送機関でよいものをムリヤリに地下鉄を建設して、京阪京津線に大迷惑をかけたうえに、京都市は致命的な建設費の負債を抱え込んだ。

本棚で別の本を探していて、こんな本を見つけた。1999年刊だが、欧米の路面電車紹介などのページで、LRT化のための主な方法について要領よく紹介している。

そのなかに、都心部ではわざと狭い街路に路面電車を通すという方法も書かれている(トロント中心部もそうだった)。「まず自動車を便利に走らせ、余裕があれば路面電車も通す」という考えを完全に捨て、むしろ「基本的には路面電車と人だけが通る」にぎわい空間にしよいうということだ(都心部はバスすら走らせない都市もある。逆に商店街などの必要があれば、時間を決めて業務用車だけ入れるやり方がある)。
明治時代に最初にできた京都の路面電車が西洞院通りや寺町通りを走っていたことを考えれば、京都でLRTを建設する際も、堀川通りのような広い通りの端を走らせるのでなければ、思い切って狭い通りを走らせるのがいいかもしれない。白梅町から中立売商店街を抜けて堀川~西洞院~京都駅とかつての「N電」ルートを復活させ、白梅町では帷子ノ辻からの電車を、四条大宮では嵐山からの電車を乗り入れさせるなんてことも可能な気がするのだが。

叡電の方は、ターミナルの出町柳まで親会社である京阪電車が延びてきたので、市内乗り入れなどすると京阪の乗客が減るということでやりにくいだろうが、それでも京都駅や四条通に到達させる方法があるはずだ。京都駅前で嵐電と叡電に乗れるなんて、観光都市らしくてすばらしいではないか。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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