日本史を世界史の中に位置づける(3)

カナダから帰ると、北大の橋本雄さんから抜き刷りが届いていた。
・「ニューサポート 高校社会」(東京書籍)vo.16(2011年)の「「冊封体制論」を考え直す--日本史と世界史の”接点”を求めて--」
・「アジア遊学」142号(2011年)の「北条得宗家の禅宗信仰をめぐって--時頼・時宗を中心に」
・「東洋史研究」70巻3号(2011年12月)の書評「岡本弘道著『琉球王国海上交渉史研究』」
・「日本歴史」2012年1月号「特集 学び直す日本史の常識」の「海外との人・モノ・文化などの交流は、実際どの程度政治や文化に影響を及ぼしていましたか?」
の4点を頂戴した。

いずれも橋本さんらしい明晰な論考で、勉強になる。
儒教的方向(政権強化)でばかり理解されていた北条氏の禅宗信仰が、禅宗そのものとして理解できる(そもそも権力強化は儒教の専売特許ではない)が、ただし時頼の政争で自分の手を汚した体験にもとづく個人的平安の希求のように「禅=大乗」とは言えない性質をもっていたことを説いた「アジア遊学」の論文は、カナダの学会での、広南阮氏政権でおこった「渡来禅僧による儒教化」を論じたCharles Wheeler氏の報告と対照的だが、禅宗の多義的な役割を示す点で、どちらも面白かった。

「日本歴史」の記事はたぶん、同誌の読者層にとって、読み方に注意が必要である。
「唐物」が示す「漢」の世界が、「和」の文脈の中での相対的な「漢」に過ぎないという美術史の理解を枕に、ご自身の研究成果である北条得宗の禅宗信仰(上記)、それに足利義満が受けた「日本国王冊封の真相」(本来の冊封儀礼をしていないし日本国王号を国内で誇示・利用していないので、やはり)を例として、「異文化や外的情報は適宜取捨選択され、都合良く改変されていたし、とりわけ重要なのは、ことの本質はほとんど受容されないか、されたとしてもそれは社会のごく一部に限られた、ということである」というまとめをされているのだが、これを読んで「やはり日本は特別なのだ、今まで通りの理解でいいのだ」と安心したら大間違いである。

そのあとに「ただし、そうした微弱な変化こそが、いずれは大きな社会の変動を惹起していうことを、最後に銘記しておきたい」とあり、その前にも義満の件で、中国的な外交儀礼は「形式さえ守っていれば自主が守られる代物であ」ること、「中華皇帝と冊封関係を結びながら、「蕃国」王がそれぞれ自国の秩序を保持しうる」こと、「義満の「不遜」な振る舞いも、アジア史的視点から見れば、何ら珍しいものではなかった」ことなどを述べている点を熟読する必要がある。
従来の日本史で理解が足りなかった、「冊封体制」などが近代的・絶対的な規定力をもたない融通無碍なものだった点(東京書籍の解説にも書かれている)、日本は確かに特殊であるが、ほかのアジアにも「特殊」な例はたくさんあり、それとの比較が必要である、という2点が、ここにはっきり指摘されている。

ただし、「日本史を越えた海域アジア史」の観点では、あと2点付け足したい。
1.「漢」は「和」の文脈に取り込まれているのが事実だとしても、「漢の要素」「漢の世界と自己を区別する意識」なしに「和の文脈」は成り立っていただろうか。もしどちらも「否」であれば、「和の文脈」は自立したものではなかったとも言える(そのことは、「中華意識」の側が「夷」の存在を前提として成り立つものであることと矛盾しない)。
2.外部から流入した宗教や文化で、「本質」が広く受容されることなどありうるだろうか。そもそもある宗教や文化の時代も状況も越えた「本質」は定義できるだろうか?
最近の政治=文化研究は、近代植民地社会ですら、支配者による「徹底同化政策」など成功していないことを示している。前近代でもたとえば、朝鮮やベトナムのものすごい「自己中国化」の努力などの例はたしかにあるが、それでもできあがったものは「中国と同じ文脈」ではなかったはずだ。
日本の野球はベースボールではない。日本の仏教は「本来の」仏教ではない。しかしそんなことを言ったら中国仏教も「本来の仏教」ではない。
カナダのAASでも、チャンパーの末裔とされるベトナム中南部チャム族(BaniないしBiniと呼ばれる集団)の「非正統派イスラム」について、これはイスラムではなく「イスラム的要素を取り入れた土着信仰だ」という報告があったが、宗教建築のありかた、儀礼のやり方などが「本来のイスラムと違う」からこれはイスラムではない、という論法は感心しなかった(論じるなら、この集団がウンマに属するという自己規定をもっていない点だけを論じるべきだった)。「本来のイスラムと違うことをやっている」という論法で行けば、中東以外のイスラムは全部「イスラムではない」ということになりそうだが(イランは本当に本来のイスラムか?)、最近まで「本来と違う率99%」だった東南アジアでも、オランダ支配に対してイスラムの旗を掲げて壮絶な抵抗をした人々がいたのだ。

注:東南アジア研究全体は、こういう本質主義的議論にもとづく独自性の強調という段階をすでに乗り越えたはずなのだが、ベトナムの場合、政府による(古い本質主義にもとづく)民族区分が現に生きているため、こうした議論もまだ避けられないのだと思われる。

「一国史観」の克服には、本質主義的な思考法(科学観)からの脱出が必要である。それはなにも「歴史はすべて物語だ」とかいうことではない。橋本さんが東京書籍の解説で書いている「物事を複眼的・動態的・内在的に、批判的に考えていく姿勢」を貫けば、宗教や文化の世界で、本質主義は成り立たないはずなのだ(遅塚忠躬「史学概論」も参照されたい)。今までの科学がそこでも本質主義を許してきたのは、「ヘーゲルの逆立ち」をみんながしていたということだろう。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR