日本史を世界史の中に位置づける(2)

時間があとさきになるのだが、カナダの学会でわれわれのセッションをのぞきに来てくださった日本経済史のTM先生と議論になった。
われらが科研リーダー藤田加代子さんが、アジアの小帝国としての川日本の(蝦夷地や琉球を内国植民地とする)経済構造を論じた際に、蝦夷地の海産物の中国への輸出(有名なナマコ、昆布その他)を小帝国形成の重要な契機として論じたのに対し、「蝦夷地の経済で構造的により重要だったのは日本内地向け肥料原料としてのニシン漁ではないか」とツッコミを入れられたのだ。

藤田さんもその場で「そのこと自体はまったく否定しない」と応答したが、ランチのときにも議論がつづいたので、私が横から介入して、
・「蝦夷地の経済構造と和人支配のありかた」をもっとも強く規定したのはたしかにニシンであろう。
・ただし「長い18世紀」の東アジア(東ユーラシア)経済ネットワークにとって、蝦夷地の海産物輸出は不可欠の構成要素であった。したがって、東アジアのネットワークの中で川小帝国を論じる際に、蝦夷地の海産物は不可欠なファクターである。
より一般化すると。
・「経済構造」および消費を含めた「文化構造」の面で、日中両国はたしかに違った(一部は正反対の)方向に進んだ。
・ただしそれは、近世前期の激烈な相互交流、それを引きずって近世後期まで続いた相互に意識しあう関係(もちろん日本側の対中意識のほうが強いが)のなかでおこったできごとである。
などの私見を述べた。最後の点には、TM先生も関心をもってくださったようだ。

ちなみに、中国の支配者や知識人は日本のことを、西方・北方の諸勢力のような政治・軍事的脅威として恒常的に強く意識していたわけではないだろう。しかし中華帝国が中華帝国であるかぎり、東西南北どの方向の国際関係も、イデオロギー面で無視はできなかった。「日本はめったに朝貢してこない」という事実に、中華の権威を損なわないような説明を与えなければならない。そこに日本の金銀とか東方の神仙世界とかの知識が加わるから、倭寇問題は別としても中国の支配者や知識人は、「日本史で教えているよりはずっと強く」日本のことを意識していたような印象を受ける。

大蛇足:北海道のY先生がいつもおっしゃっているように、現在、北海道の高級ナマコを中国人が買いあさっている。その意味でも蝦夷地の海産物輸出の歴史は現代性をもつ。それから、「日本と中国が互いに意識しながら逆方向に進んだ」歴史が、現代日中関係の理解に必要なことは言うまでもない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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