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1周年に思う

昨日はネットにアクセスできない場所にいたため記事が書けなかったが、もう1年たってしまったんだ。
偶然尋ねた東本願寺はじめ、あちこちで震災にちなんだ写真展とか募金とか追悼行事などに出会った。
新聞では、基地を押しつけられてきた沖縄と原発を押しつけられてきた東北の同質性といった記事も出ている。
このままでは震災の犠牲者は、沖縄戦の犠牲者と同様に、浮かばれないだろう。

大阪の方は組合の選挙活動や議員の口利きが明るみに出たり、卒業式の君が代で起立しなかった先生が大量処分されたりと、いよいよしっちゃかめっちゃかな状況だ。長年のオール与党体制のもとで維持されてきたデタラメな状況といい、居丈高な権威主義といい、「大阪人は反権力」なんてうそっばちだということがはっきりわかる。「ほとんど中国か東南アジア」と言ったら中国や東南アジアの人たちに失礼だろうな。

不況と政党政治の混迷、震災に端を発する社会不安、対外的には中国との対立の深刻化。そういうなかで危険な政治潮流が力を伸ばす。「戦争の足音が聞こえる」と心配している人が多いだろう。私も心配だ。
ただし、その危険な動きを、1945年以前とまったく同じものであるかのように批判しても、科学的な批判にならないし、若い世代の感情にアピールもできない。

歴史学的の見方によれば、まったく同じ現象の繰り返しというものは存在しない。
たとえば古代ローマの奴隷制と近代アメリカ合衆国南部の奴隷制は、それを成り立たせている条件が違うから、「同じことの繰り返し」ではない、というのが歴史学の考え方だ。成り立たせている条件が違うということは、それが果たす役割やもたらす影響も、それを克服する道筋も同じではありえないということだ。「戦争」や「独裁」や「全体主義」も同じことだ。

もちろん社会学や政治学は、ローマの奴隷制とアメリカ合衆国の奴隷制を同じ概念で取り扱うことができる。そうした超歴史的なとらえ方と歴史的なとらえ方は、どちらが正しくてどちらが間違い、という関係にはない。
しかし、「具体的な」対策を考えたかったら、一方では社会学や政治学が現在の事態を1945年以前とは違ったモデルで理解していないかどうかを勉強する必要があるし、他方でその問題がもつ一回限りの歴史的特殊性にも着目しなければならない。それを怠る「平和と民主主義の運動」はいかに善意であれ、「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」ということにしかならないだろう。

今日は九州新幹線の全線開業1周年で、観光客が順調に増えているというおめでたい記事も見られた。
しかし格安航空会社との競争がこれから激化するだろう。
鉄道と高速道路や航空との競争は、鉄道が基本的にインフラを含めた独立採算を強制されてきたのに対し、高速道路や空港は(目的税が財源になっている部分があるとはいえ)国が赤字を垂れ流しながらインフラをいくらでも造ってくれる点で、公正な競争の条件がない。運賃設定もバス会社や航空会社の方が圧倒的に自由度が高い。たとえば二酸化炭素の排出量に比例した運賃を義務づけるなど、競争の土俵を根本的に変えることはできないのか。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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