1980年代の九州

1984年の春と秋に、九州の鉄道乗りつぶしに行った。筑豊地域や鹿児島県内のローカル線などの早回りに苦労した旅だった。そのときの長崎、熊本、鹿児島の写真も「発掘」できたので紹介しておこう。

このごろはポスドクというが、当時の言葉ではオーバードクター(OD)の1年目。国鉄ローカル線の廃止は進むし路面電車にも展望は見えず、私の生活も楽しくはなかった。

まず長崎市内線を早回りした写真。
左から北の終点の赤迫、浦上車庫、東の終点の蛍茶屋、南の終点石橋。
img296.jpg  img297.jpg  img298.jpg  img299.jpg
長崎駅前。各都市ともに1970年ごろでストップしていた新型車両の導入が、ようやく始まったころだった。
img300.jpg

つぎは熊本。ここも新型車両の導入、冷房化などが開始されていた。
左から交通局前(車庫)、ユースホステルがあった味噌天神、中心の通町筋(2枚)
img301.jpg  img302.jpg  img303.jpg  img304.jpg
上熊本(左端)から藤崎宮前に行き、熊本電鉄で菊池往復、熊本駅(右端)に戻った。
img305.jpg  img306.jpg  img307.jpg  img308.jpg

最後は秋の旅行で鹿児島へ。
まず西鹿児島駅前。今とはぜんぜん様子がちがう。
img309.jpg  
加治屋町で伊敷町線に乗り換え。右が伊敷町終点。国道3号線上を走るのが邪魔だということで、利用者は多いのに廃止されてしまったと聞く。
img310.jpg  img311.jpg
これも廃止された清水町線。
img312.jpg
中心部の高見馬場(左)と郡元(右)
img314.jpg img316.jpg

ここの新型車導入は89年から。しかし長崎、熊本、鹿児島という人口50万前後の地方中核都市で、この時期に路面電車がなんとか守られたことには、おおきな意味がある。



関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR