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京都市電・1974年(続き)

当時は河原町通りにも市電が走っていた。河原町今出川で右折して百万遍に向かう2系統は、京大生の重要な乗り物だった。
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京都駅前。東大路・西大路に行く系統と、河原町通り(昔は大宮通も)を北上する路線が交互に発着するさまは壮観だったが、惜しいかな市交通局には、警察にも軌道敷への自動車進入禁止の徹底、電車優先信号などで協力させ、新型車両(当然、広島や北九州のような連接車が必要だったのに、京都市は導入しなかった)を増発して便利なダイヤで客を増やすという攻めの姿勢はなかった。
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七条大橋の京阪電車との平面交差。鴨川沿いを走る京阪電車もとてもよかった。
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これではわからないが、東大路の元田中。この奥(北側)で叡電と平面交差していた場所である。16系統は北大路~東大路~九条通といちばん外周を走っていた。右はおまけの叡電の写真。京阪が出町柳まで延びて叡電の乗客もそれなりに増えたが、京阪鴨東線の巨額の建設費を考えると、叡電をLRT化して京阪三条までつなぐほうがよかった気がする。
img257.jpg  img242.jpg

元田中の南、飛鳥井町のあたり。2000系は数が少なかった。
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これは丸太町線と西大路線が合流する円町の電停(西大路通り)。北大路から河原町に入る5系統がまだあった。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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