京都市電・1974年

3月も路面電車から行ってみよう。私が大学に入った年の、京都市電の写真を引っ張り出してみた。
京都は町の規模、性格からいってLRTネットワークにふさわしく、実際、すでにドイツなどで進んでいた路面電車再生の提案(当時はLRTという言葉はなかったが)は再三されたのだが、市当局や市議会に理解されなかったのは、かえすがえすも残念である。しかも同じ時期に広島では路面電車再生が進んでいたのに。
明治時代にいちはやく当時最先進の乗り物である路面電車を導入した京都市の先進性は忘れられていた。その後の地下鉄の建設費による巨額の赤字(とくに悲惨な東西線の)は、だれが責任を取るのだろう。

最初は、入学後に知人からもらった烏丸線の写真。私の入学寸前に廃止されてしまった(四条通はもっと前に廃止されていた)。
img243.jpg

次は入学直後に下宿の近くで撮ったもの(高野と高野橋)。ラッシュ時には「急行」運転が残っていた。また四条河原町から高野までの13系統は本数が少なく、めったに乗れない路線だった。
img244.jpg  img245.jpg

河原町今出川西詰め(左)と御所の北側の今出川通り(右)。12系統や22系統が走っていた今出川線と丸太町線も、私の入学後しばらくして廃止された。
img251.jpg  img252.jpg 

高校駅伝の選手も苦闘する北白川の急坂を上る
img253.jpg

銀閣寺道で南へ折れて錦林車庫へ。廃止寸前の様子である。
img254.jpg  img255.jpg




関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR