新自由主義と日本中世史

内藤湖南が「今の日本を理解するためなら、応仁の乱からこちらの歴史だけを学べばよい」という意味のことを述べたという、有名な話がある。では、日本中世史を学ぶ意義はどこにあるだろうか?

近代日本国家の前提となる「伝統」としての「天皇制」や「国風文化」「武家社会」、それに「日本型の家制度」などが中世に成立したものであること。これが第一の解答だろう。リーバーマンのいう、後世の国家にとってのCharterの成立である(ただしリーバーマンは律令国家から応仁の乱までを長い長いチャーター時代としているが)。つまり、現代社会とのつながりによって歴史を学ぶ意味を主張するのである。

*何度も書いているように、現在では鎌倉幕府の成立でなく平安中期(代表的には院政と荘園制から)から中世とみるのが学界の常識である。また、「実権はないがしかし天皇家以外の人間は絶対に位につけない」という意味の「天皇制」が確立するのも平安時代である。

第二の解答は、新自由主義が荒れ狂う時代には中世史を学べ、という理屈である。これは、「歴史は繰り返す」から、現代につながっていなくても学ぶ意味のある事象を見いだすことができる、という主張である。

平雅行先生その他の受け売りで、これもたびたび話したり書いたりしてきたが、中世日本では律令制によって国家がすべてを管理する仕組みが立ち行かなくなり、もろもろの国家業務は、法律家の家、軍人の家(=武士の起源)、陰陽道の家などなど、いろいろな「家」によって、一定の権益とひきかえの世襲的な請負制によって遂行されるようになった。また国家から離れたところで、農業開発や宗教活動などの公共機能を果たし、それをてこにして地域社会を牛耳るような「領主」や「寺社」の勢力も拡大した。要するに「民営化」や「アウトソーシング」が全面的に進んだのである。

結果はどうだったか。最近の理解によれば、平安~鎌倉期の経済はきわめて不安定で、トータルでも低迷が続いたらしい。「中世温暖化」は東日本には恩恵を与えたが、西日本はむしろ旱魃の激化などで経済停滞をもたらした可能性があるそうだ。
また、国家業務の請負化は、国家財産の私物化を容易にした。初期の上級武士は軍事貴族だが、下級武士は要するに暴力団や地域のゴロツキである。中世の特徴として「自力救済」「下克上」などがよくあげられるが、こういった連中が支配する中での自力救済というのは、「方丈記」のように天災を持ち出さずとも、じゅうぶんオソロシイ格差社会をもたらしたとしか思えない。要するに、かつての「暗黒の中世」像は、全面的に間違っていたとはいえないのだ。さる中世史の大家が「中世には暮らしたくない」と言ったとか言わないとか。

中世日本は、現代の新自由主義の社会ととてもよく似ている。では、中世に容易に見いだせる「そのなかでもたくましく生きていた人々」「新しい文化や社会の萌芽」を、現代社会は生み出せるだろうか?


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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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