研究者に必要な経験

CSCDの研究会で、外大から移られた小林恭先生(ご専門は哲学・宗教思想)の最終講義があった。

「一度捨ててまた拾い上げた学問は有り難い」とおっしゃったのが、いちばん印象に残った。
拡大解釈すると、全面否定を乗り越えた学問や研究者は強い、ということではないか。
「研究者は定説や師匠を疑う」と昨日書いたが、もちろん自分を批判的に疑って見ることもできなければいけない。
それを突き詰めると、自己否定であれ他者により否定であれ、どこかの段階でいったん「自分の学問は意味がない」と絶望することに意味があるように思われる。

そこでつぶれてしまったらそれまでなのだが、そこからもう一度、開き直って「やっぱり自分はやめられない」という精神でなんとか他人にできない研究のいとぐちを見つけようとする、というのが、天才でない研究者が大成するパターンのような気がする。体育会同様、性格の悪い先輩にいじめられることが積極的な意味をもちうるのもそこではないか。

なお、こういう人文系の世界で、最初から団体行動の得意な人間が集まることは期待しにくい。それだけに、自分が団体に合わせせられるというだけでなく、団体をまとめ動かすことができる人間は意識的に大事にすべきである。
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気がついたら通算のアクセス数が1万件をこえている。
みなさん有り難うございます。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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