やってはいけない戦い方-阪大歴教研の開催趣旨(4)

授業が始まってしまう前にもう1件だけ書いておきたい。

日曜日の今日も仕事。科研の交付申請書作りや授業の準備。CSCD科目に基礎セミナー、2回生の「歴史研究の理論と方法」など最初に準備することが多いのに、「文学部共通概説」まで第1週に入れたのは失敗だったか。金曜日の「市民のための世界史III」は登録者が170人! もっとも、この1~2月の拙著(中世大越国家の成立と変容)刊行間際の狂乱状態とくらべれば、まだはるかに余裕がある。

夜、CSのクラシカ・ジャパンをつけるとラフマニノフのピアノ・コンチェルトの2番をやっている。カラヤン指揮でピアノはワイセンベルグ。高2のころ、ラフマニノフの2番をいっしょうけんめい聴いていたっけ。偶然、高校の修学旅行の時期で、この曲と臼杵石仏のイメージが重なり合っている。そのころの私はなにかと不機嫌で、修学旅行も途中まですねていたのだが、最後に行った臼杵石仏で衝撃を受け、大学に入ると最初の夏休みにもう一度、国東半島とあわせて旅行したものだ。戦国時代や古代史でなく、日本史でいう「中世前期」を専門の中心にすえることになった最初のきっかけは、臼杵と国東にあったような気がする。

終わって地上波に切りかえると1971年の「男はつらいよ・純情編」。倍賞智恵子が若い。
ちょっと見ただけでCSの時代劇専門チャンネルに切りかえ、「樅の木は残った」総集編の後半。勇壮な戦闘シーンなどが皆無で駆け引きと陰謀が延々と続き、最後も「幕府のシナリオにのっかりながら自分の藩を守る」という渋すぎるストーリー。珍しいタイプの大河ドラマだったんだ。

歴教研の説明の続きで、日本の歴史の専門家たちが現在の苦境のなかでやりがちなパターンに警鐘を鳴らす目的もある。大学で言えば、
・織田信長以前のいくさ(モンゴル軍に対する鎌倉武士のいくさ):それぞれの研究者や専攻・大学がバラバラに戦う。大学はすでに、集団での研究・教育を前提とした理系的・アメリカ的なルールで動いているのに、これでは戦いようがない。
・ガダルカナルの戦い:不十分な兵力・装備で見込みのない戦いを延々と続ける。大半の大学の史学系は規模が小さく、カバーする範囲も狭い。それが旧来のやり方でいくら頑張っても、じり貧は免れない。
・戦艦大和の沖縄出撃:非常に優秀な研究者・先生(ただし時代に合っていない場合が多い)も、強力なサポートチームなしで、ほとんど単独で戦い本来の力を出せずに終わることが多い。
*「だから自分はゲリラ戦に徹する」という人もいるのだが、「ベトナム人の水準」から見れば単にランダムに動いているだけで、敵を苦しめるゲリラ戦になっていない。
*マルクス主義がすたれてから、「それぞれが自由に行動すれば見えざる手の采配で全体がうまくいくはず」という、アダム・スミスばりの(18世紀的な)考えが歴史学や人文学に蔓延している気がする。これは「非科学的」年か言いようがない。

皆さんすごい力をもっているのだから、ちがったやり方をすればもっとずっとうまく行きますよ。それが歴教研の精神である。

さあ、明日から授業だ。







関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR