知らない食べ物を見ると

今日は雑談。

私は昔から、知らない食べ物を見ると、甘い物に限らず、つい手が出るたちである(ベトナム留学中にはそれで失敗もずいぶんしたが、基本的には外国研究に有利な性格だと思っている)。ちなみに東南アジアというのは、酒は飲めても飲めなくてもどちらでもOKだが、食い意地が張った人間にはこたえられない世界である。

昨日、スーパーで長崎名産「かす巻き」というのを売っていたので、やっぱり買ってしまった。砂糖をまぶした皮付きのカステラであんこを巻いたようなもの。ゆずあんのを買ったが、愛媛のタルトともちょっと食感がちがう、微妙な味。


「知らないところに行くのがうれしい」
これも私の性格である。外国史など異文化・異世界の研究者には必要な条件だと、偉そうな顔をして学生にはよく話す。国内も含め、知らないところや知らない人の前ではものすごく緊張して疲れる人を見かけるが、それでは外国の研究はたいへんだろう。外国に行かず、外国人にも会わずにパソコンとネットだけでできる外国研究(逆にそちらは私の苦手である)というのもありうるが、それでできないこともたくさんある。

どの学問でも、「それをするのがうれしい」「やりだしたらやめられない」というものがあって、しかもそれを可能にする広い意味での体力があるのでなければ、なかなかうまく行かないのではないか。もちろんそれは必要条件にすぎず十分条件ではないのだが。

話はとぶが、
今日の帰宅後は、先日買ったポリーニのショパン・ノクターン集のCDを聞く。
2005年の録音だが、とても落ちついた感じの柔らかい演奏で、ポリーニもずいぶん変わったのかなと思う。
最初に世界をあっと言わせたショパンのエチュードを聞いたのは、高校生のころだった。
それまでに聞いたショパンとは(うまく言葉にできないが)、音の力も輝きも全然ちがう、圧倒的な演奏であるのが私にも感じられた。それ以来、ポリーニのエチュードを聞いた回数は、百回では全然きかない。
たとえばダン・タイ・ソンの柔らかいが強靱なショパンも好きだが、ポリーニは別格に感じられる。

さて、大学は学年末試験や卒論・修論の口頭試問、博士論文の公開審査、大学院と学部の入試、などなどの季節に入った。
みんな頑張ってほしい。

私はこれらの仕事や自分の論文書き(英語や日本語やいろいろ)と並行して、4月からの史学概論、それに新設の「リーディング大学院」での歴史の授業(いろいろな研究家の院生が集まっているところで5コマで歴史の考え方を学ばせる←私はこれも「自分の専門に引きつけたランダムな断片の提示」に終わらせずに、なんらかの「全体像」を見せたい)などの組み立て、それに高校の「歴史基礎」の方向性も考えなければならない。
これは2月戦役、3月戦役、4月戦役。。。どこまで続くのだろう。

自分の能力を顧みずにあれこれ風呂敷を広げるからこういうことになるのだが、
負けるもんか。
ベトナム人民のしぶとさ、すばやさに学ぶのは今だ。

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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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