ギャップ・ターム

大学を秋入学にして、入試合格から入学まで半年間の「ギャップ・ターム」にいろいろな社会経験をさせるという案が、引きつづき話題になっている。

私が読んでいる新聞などの議論は、日本とアメリカの高校教育や入試制度の違いを無視しているので、このままでは、日本の教育現場の条件を無視して導入したために理想が生きなかった「ゆとり教育」と同じく、うまくいくのはごく一部ではないか。

先日も書いたし、山形の高橋先生のコメントにもあったように、日本の高校教育は大学入試(出題責任はあくまで大学側にある)によって、内容を暗記偏重にゆがめられているばかりか、科目編成や時間配分をひどく圧迫されている。アメリカではこんなことはないだろう。

実は今の日本の中学・高校の学習指導要領は、暗記教育より問題関心や考える力、表現や討論、社会経験を重んじている。それを阻んでいるのは、教員の怠慢・不勉強もたしかに見受けられるが、基本的にはセンター入試である。

センター入試を含む入試の出題、それに教員養成の責任はいずれも、大学側にある。そこを変えずにギャップ・タームだけ導入しても、小学校から暗記以外の活動を積み重ねているアメリカン学生にはやっぱりかなわないだろう。言い方をかえれば、小中学校の「総合学習」が多くの学校で不十分な成果しか生まなかったのと同じことになるだろう。

そもそも現在、大半の大学教員が頭を悩ましているのは、学生が暗記専門なことそれ自体ではなく、「暗記すらまともにできなくなっている」ことである。発想自体は悪くない「ゆとり教育」「多様化」と、旧態依然たる暗記入試(や能力を測れない、いいかげんな推薦入試)の間で、高校教育が引き裂かれた結果だ。このままギャップ・タームを導入したら結局、ゆとり教育で学力が低下したから詰め込み教育を復活させろとなってきたのと同様に、ギャップ・タームに補修をさせる大学がたくさん出現して、なにがギャップ・タームだかわからなくなりそうな気がする。たとえば史学系の教員が、文学部の新入生に「ギャップ・タームに世界史・日本史(・地理)のうち履修しなかった科目をやってこい」と要求するのが目に見えるようである。

例外的にはそういうことがあっていいが、みんながそんなことをするのを許してはいけない。
大学側から見て足りない学習でも、高校側に正当な理由があるのであれば、それは大学側が自力で、教養課程や高度教養教育を使って補わねばいけない。

東大がそこまで考えて、本気で入試(と入学後の教育)を変えることはできるのだろうか?
(ひるがえってわが阪大は?)

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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