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「体育社会科」その2

昨日の高橋先生のコメントは、「体育社会科」教員と「センター入試至上主義」教員を別グループととらえてはいけない、両者はつながっている、ということだと受け止めた。貴重なご指摘、ありがとうございます。

別の言い方をすれば、センター入試至上主義がしっかりした市民・社会人育成から見てマイナスであることと、部活強化が往々にして「大学や社会人で通用しない選手」を育ててしまうこと、などの問題はおなじ根っこをもっており、そのことが視野に入る教員や部活指導者を育成しなければいけない、ということだろう。

私が授業でいつも高校野球のPL学園を高く評価するのは、甲子園で勝ちまくっていたときはもちろん、その後あまり勝てなくなってからも、プロで活躍する選手を出し続けていることだ。「大学入試の成績」「甲子園の成績」だけ上がれば卒業生がその後どうなろうが知ったこっちゃない、という考え方でなく、生徒たちの卒業後の長い人生のありかたに着目した「成績評価」の物差しを、高校に限らず学校教育に広げなければいけない。

「そんなことは理想論にすぎない」と言わずに真剣に考える必要があるのは、目前の成績だけで教員をクビにするような条例を作ろうとしているどこかの府や市の教育関係者だけではないはずだ。

同様にわれわれの側でやらねばならないのは、「新しい学問の動向を勉強しないと受験指導ができない」と思わせるような入試問題を、センター入試や有力私大の入試に導入する(もちろん中長期的には、秋入学などにも合わせて入試のありかたそのものを変えること)という、これまたたいへんな仕事である。

とても大きくてたいへんな仕事である。しかし過去の人類は、「できるかどうか」でなく「やらなければならない」ことに、しばしば直面してきた。歴史を学んでいるわれわれが、それに目をつぶるのはおかしい。

一点、蛇足だが、「成績より中身としてよい教育をしたい」と願う教員や研究者には、成績至上主義者の「マニュアル主義」への不信感が強い。しかし、「中身かマニュアルか」という二者択一は論理的に正しくない。「マニュアルそのものを馬鹿にする態度」で、マニュアル主義者を屈服させることは不可能である。「中身があればよいマニュアルが作れる(使える)」とならなければいけない。

同様に、一般論ではマニュアルの必要性を認めながら「そういうよい中身を完成するのが先決だから、当分マニュアルの話などしてはいけない」という論法で実質的にマニュアルを否定する人も(とくに大学に)たくさんいるが、それも論理的に正当化できない。そのような「中身の完成」は永遠に訪れない(もし訪れたら、その瞬間にその学問は「使命を終えた」ことにならないか)。



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早速取り上げていただきありがとうございます

桃木先生
私のコメントを早速取り上げていただきありがとうございました。
高校教員に就職以来、どの勤務校でも教員の仕事や生徒の学校生活における部活動の大変な比重の高さに違和感を憶えつつも、そうした雰囲気の中で上手く「研究を続ける高校教員」の立場を作っていこうというのが、私の心懸けです。生徒たちには、部活に熱心に取り組むのは素晴らしいけれども、自分の将来のためにももっと様々な学問領域や社会問題、国際情勢に対するアンテナを張ってほしいと思い、訴えているところです。部活中心の先生方とも、様々な機会に「より深い学び」のための研究の必要性を訴えながら、共存と歩み寄りをはかっていきたいと日頃から思っています。
敬具
高橋 徹
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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