ヒストリー・コミュニケーター養成へ-阪大歴教研の開催趣旨(3)

あちこちで繰り返してきた話だが、歴史学はこの30年ほどの間に大きく変貌した。「過去のことだけ扱う歴史に新しく研究することなどないだろう」という低レベルな誤解の持ち主は考えをあらためていただこう。グローバル化やIT化のおかげで外国史の研究や大量のデータの入手・解析が容易になったこと、環境と災害、女性とジェンダーなど、現代世界の変化にともない新しい角度から光が当てられたことで、新たな事実が解明されたり既知の現象が見直されたケースは、いくらでもあるのだ。

日本の歴史学はそのなかでも、史料読解の精密さ、世界のほとんどの地域についてハイレベルな専門家を擁する層の厚さなどの点で、世界一と自慢してよいはずである。
しかし残念なことに、現在の歴史教科書は昔とくらべて一般にわかりにくく、学問の進歩や日本の学界のレベルの高さがみんなにわかるようにはなっていない。

これには、
   ・学問そのものの複雑化(これは「進歩」と「拡散」の両面をもつ)
   ・「教養」の解体(一面的に嘆くべきことではない。もともと欧米中心・男性中心などひどい偏りをもっていたのだから)
などの大きな背景があるのだろうが、直接には研究者・教員・学生など歴史を専門とする人々が全般に、
   ・自分がやっている(教えている)学問の全体を見、語る。自分の専門領域や研究テーマをそこに位置づける。
   ・専門の内部でしか通じない業界用語を使わずに(どうしても使わねばならない場合は必要な説明つきで)外部の人に
    説明する。
の2つの能力・意思を欠いていることの影響が大きい。そのまた背景を言えば、「まず小さな事柄から始め、徹底した反復練習でそれが完全にできるようになった者だけに、より広いことがらを扱うのを許す」「外部の人と大きな話をするのは、一部の長老や達人にまかせておけばよい」などの日本的(近世日本的?)発想が、マルクス主義や古典的(欧米崇拝の)教養主義がすたれたあとに全面復活したことをあげねばならないだろう。

実はこの批判は「日本史」にはあまり当てはまらないのだが、その「日本史」の多数派は、あくまで日本列島の内部にとどまり国際環境を本気で見ようとしないし、小学校から一貫して日本の学校教育を受けたのではない相手に歴史を語れる日本語をもっていない。

外国史(世界史)はといえば、グローバルヒストリー研究者の一部を除き、世界全体を見ることを完全に放棄している。またそのグローバルヒストリー研究者も含めて、物質的世界から精神的世界までの人間活動の諸領域を満遍なくおさえる努力はしていない。もちろん「実証研究」でそんなことをするのは不可能に決まっている。が、「他分野の知識人にまじって世界を論ずる」「学界のありかたをとらえ直し将来を展望する」「未来を担う若者たちに世界のあらましを教える」などの仕事にたずさわる専門家が、あるいはその専門家の養成にあたる専門家が、大学の受験勉強を別とすれば生涯で一度も、自分の頭で世界史と歴史学の全体をおおづかみに整理する機会をもたないままでいいのだろうか。

私にはそれは、「欠落」にしか見えない。その結果、「専門研究者」の大半は、専門家だけがわかる学会発表と、興味深いエピソードや研究の断片をややオタク的に紹介する「カルチャーセンターの講演」はできても、他分野の研究者や大学当局、高校でなんら体系的な歴史を学んでいない現在の教養課程の大学生などに理解させるための、「全体を踏まえた高度でコンパクトな概括」はまったく下手くそなのである。西洋史や日本史に偏った日本の歴史研究・教育の仕組みをアジア史側がうまく変革できないことにも、同様の原因が作用している。

といっても、大学に「なにを言ってるかわからないが世界的な研究をしている大先生」がまったくいないのはおかしい。「平凡な学者」は自分で自分を語れるように訓練すべきだが、そうでない大先生についてはむしろ、弟子やまわりの人間が「解説者」を買って出るべきである。

言語能力の低い先生が多いうえに、一般市民にわかりにくい研究内容が多い理系では、とっくに「サイエンス・コミュニケーター」の養成をおこなっている。放っておいたらあるべき知識や考え方がちっと身につかない、悪用されれば被害が出る(歴史認識には憎悪をあおり戦争を起こす力もある)などの点で、歴史のおかれた状況は理系と大差ない。とすれば、われわれも「ヒストリー・コミュニケーター」を養成せねばならない。一方的に「高校教員を教える」のでなく「高大連携で大学側も変えていく」ことを目指すわれわれの研究会は、こうした点で、大学の「専門教育」をも変革しようとしているのである。CSCDからスカウトの声がかかったのも、私がとくに強くそうした点を主張してきたためだと理解している。

(これを読んだ研究者・院生・高校教員への挑戦)
儒教とはなにか、その特徴と歴史的変遷を簡単に説明しなさい。「高邁な中国思想の解説」ではなく、中国と東アジアの人々(男性だけではない)の社会生活・家族生活や、国家統治・教育などの仕組みにどう影響したかを中心に述べること。「理」「気」「性」など純思想史的な述語は使ってはいけない(「仁」「孝」「忠」などは必要があれば使ってもよい)。
*これができない高校教員が「性即理」だ「心即理」だと生徒に暗記させること、これのできない卒業生を教員養成課程から送り出すことは、かなりの愚行だと私個人は考えている。また、この問いに答えられない「中国史の大学院生」はおかしい。大量の専門研究など読まずとも、東アジア史家の一般常識で説明できるはずである。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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