最終回の授業

まだ2月に食い込む授業も残っているが、今週で終わりの授業も多い。
火曜日は大学院ゼミ、水曜日はベトナム史の特殊講義と学部のゼミ、今日は東洋史の合同演習と大学院のオムニバス講義「歴史学のフロンティア」などが、それぞれ最終回を迎えた。

「歴史学のフロンティア」は森宣雄さんを聞き手にして冨山一朗さんの学問と思想遍歴(?)を語ってもらう会を下のだが、経済学、地域研究、心理分析、人類学、そして沖縄、社会変革などについて冨山節が聞けて、とても面白かった(なにがなんだかわからなかった院生もいたと思うが)。特定の学問分野(分析方法)に閉じこもらず、現実の問題と問題意識につぎつぎ「巻き込まれていく」冨山さんのスタンスと語りには、大事な問題が含まれていると思う。

合同演習のほうは、中央アジア史の院生発表2本。どちらもよく調べていて中身は面白いのだが、例によってまとめかたに課題が残る。
たとえば、隋唐帝国における遊牧民の役割や中央ユーラシア的原理の影響を強調するのは正しい。その例として、唐帝国の軍事面で支えたのは府兵制などではなく「覊縻支配」下の遊牧軍団であったことが、さいきんつぎつぎ指摘されている。それに関する発表をYさんがしたのだが、太宗が個人的な結びつきで重用した3人の蕃将の大きな役割を指摘したストーリーはとても面白かった。そこにモンゴル帝国のケシク制に象徴される遊牧民の支配者と近臣の結合の仕組みが影響していただろうという指摘も、たぶん正しいだろう。
問題は、支配者と私的に結びついた近臣集団が国家を動かすしくみは遊牧国家固有の特徴であるかのように聞こえる説明をしてしまったこと。

Rさん自身はそのつもりではないのだが、これは従来の遊牧国家の研究者がこういう言い方を、しばしば論理をきちんと詰めずにしてきた点に問題がある。そういうしくみが遊牧国家に一般的に見られたことは事実だろう。しかしその事実は、それが「遊牧国家に固有」であることの証明にはならない。合同演習に出ている学生・院生・教員から、当然そこを突っ込まれた。

たとえば唐は、いちおう「中華帝国」にはちがいない。とすれば、経書や春秋戦国時代~秦漢の歴史に見られる支配者とその仲間や部下の人格的結合(漢などの古代帝国の成立を「任侠的結合」から説明するような理屈もあった)を無視して、遊牧的原理の影響だけで説明していいだろうか。
きびしく言えば、こういう点で遊牧的原理を強調しすぎると、逆に漢民族王朝は完璧な非人格的官僚制によって動いていた(そんなことは、近代にすらありえない)という理屈になって、かえって「中華帝国主義」(中央ユーラシア史学界が批判してやまないもの)を美化することにないかねない。実際に中国の官僚が完全に公的かつ非人格的に動くのだったら、なぜ科挙の「殿試」は必要だったのか? 「なにが遊牧的かを問うなら、なにが中国的かも問わねばならない」という片山先生の指摘はまことに正当である。

もう1点、日本史のT君が指摘していたが、官僚機構より支配者と私的に結びついた近臣集団が優越するのは、室町幕府がそうである(たぶん院政期も同じだろう)。ここは日本である。日本人が日本語で発表する際に、日本によく似た状況があるものを無視するとしたら、それは正しくない。

ほかにも、今学期の特殊講義で論じたわが大越李朝をはじめ、近臣集団の役割が大きい国家や時代はたくさんある(東南アジアの「マンダラ国家論」は、官僚制でなく「取り巻き集団」が国家を動かす点も強調している)。

国家の成立期にこういうことは一般的に見られるのではないかという質問も出たが、唐代後半に宦官の権力が強くなったケースなどもあり、成立期だけとは言えないと思う。

ある国家の支配領域や業務のなかに、官僚組織や部族や地域・身分・職能集団などがフォーマルにカバーしきれない部分があれば、それこがインフォーマルな紐帯によってカバーされるのは、ある意味当然だろう。ただそこにも、ケシクとか宦官とか義兄弟結合とか、個々の条件によっていろいろな具体的形態があり、その現れる頻度や制度化のされかたもそれぞれの国家や時代によって違う。そうした広い比較をへてなお残る特殊性とそれを成り立たせる背景が説明できれば、ケシクやネケルなどの議論は完璧になるだろう。

かつて東南アジア史研究は、ナショナリストの研究もアメリカ的「地域研究」も共通して、インド中心主義や中国中心主義に反発するあまり、インドや中国と違う要素を見つけ出しそれを「ベトナム固有」「インドネシア固有」「東南アジア固有」などと説明することに熱中した。それは大きな成果もあげたが、あるところまで来ると、インドや中国にないから東南アジア固有とはいえないこと、インド(中国)か東南アジアかという二者択一は、インドや中国をかえって、建前として主張されるだけで実態はそうではない一枚岩の帝国や大文明にしてしまう、という矛盾に気が付かざるをえなかった。中央ユーラシア史にその轍を踏んでほしくない。

鉄道ジャーナルの関西の鉄道の特集についても、いろいろ紹介したい点があるのだが、別の機会に譲る。













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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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