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歴史人口学の要点

先週土曜日の歴史教育研究会では、院生発表で歴史人口学の成り立ちと日本の(縄文時代から21世紀までの)人口史が取り上げられた。

具体的内容は歴教研HPに資料が掲載されるはずだが、ここでは例によって、院生が説明しきれなかった大きな話を補足しておきたい。地理や現代社会の教育内容との関連を思い出すべき点も多い。

1.人口増に食糧生産の増加が追いつかないことを問題にしたマルサスの理論は、政治・経済の世界やマスコミなどの「通俗歴史」の世界では影響力をもちつづけたように思われる。が、歴史を動かす要因としての人口は、専門的な歴史学では最近まで軽視されてきた。とくにマルクス主義は、「生産力と生産関係」などに特権的地位を与える理論によって、人口の作用を理論的に無視した。

2.20世紀なかば以降の歴史人口学の発展により、これが変わった。一定の条件下では、人口が社会の構造や動態に対して独立変数として働くことが承認された。ただそれは、いつでも人口が歴史を動かすという「人口決定論」ではない。以下のようなさまざまな要素(多くは人口と同様、20世紀後半にはじめて重視されるようになった)の双方向的関係が「複雑系」的に歴史を動かすというのが、基本的な考え方である。

3.人口変動の原因には出生率と死亡率が決める自然増・自然減と、移民などの人の動きによる社会増・社会減の二つがある。
前者に影響する要素としては、
  -気候変動や自然災害
  -生活環境と感染症などの病気、人間の栄養状態
  -食糧生産や医療などの技術
  -戦争と平和
  -農林水産・牧畜や商工業など経済活動のありかたと水準
  -家族と婚姻、出産と子育て、教育、老人介護、財産の所有や相続などに関する慣習や法制、国家の政策
といった多くの要素がある。逆に、人口動態がこれらの諸要素に影響することもある。
「人口過剰と土地や資源の不足による大規模な環境破壊、または移民の増加や対外侵略政策」「土地不足のもとでの、女子を含む均分相続から長男のみの単独相続への移行」などはおなじみのストーリーだろう。

4.前近代はどの社会でも早婚、多産多死、大家族、近代社会はどこでもその逆、という「通俗歴史」が正しくないことは、日本、ヨーロッパなどあちこちで証明済みである。前近代にも「結婚率が低く結婚年齢は高い、家族形態は単婚小家族(一般に核家族と呼ばれるもの)が多数」という現代の先進国と似た社会は珍しくなかったし、逆に近現代に結婚率の上昇や結婚年齢の低下が起こった場所もある。このように前近代と近現代の家族・人口などのありかたは完全に別物ではないから、近現代の人口問題を考えるうえで、前近代からの人口史も意味をもつ。
たとえば今回の歴教研で取り上げた17世紀の人口急増(1500万?→3100万)と18世紀の停滞(ほぼ完全に横ばい)というダイナミックな変化を経験した日本の場合、
(1)17世紀には、「徳川の平和」の恩恵や、農業技術の進歩と開墾の進展、それに「寛永の飢饉」以前には金・銀・銅の大量生産を背景とした商工業や貿易の繁栄を背景に、急速な人口増加が起こった。より具体的なレベルで見ると、中世までの日本では農業生産は不安定で、小家族単位では凶作などの危機回避が困難だったため、傍系親族や隷属民をかかえた大規模な所有・経営が一般的だった。しかし17世紀には経済全体の好調や農業技術の発展を背景に、「隷属民などのインセンティブの低さという弱点をもつ大規模な所有・経営」よりも「インセンティブが高く勤勉に働く小家族の所有・経営」が高い単位面積あたりの生産性や利潤を実現する状況への本格的な移行が求められる状況が出現した(宮嶋博史の「小農社会論」←これについては2005年夏の歴教研大会ほかあちこちで紹介した。宋代の長江下流期を先頭に、東アジアの多くの地域がこの以降を経験した。ただし日本のようにそこで「勤勉革命」がおこり近代化の条件が形成されるかどうかは、いろいろな条件による)。
 しかも、当時まだ可耕地は豊富で、低湿地(岡山平野や筑後・佐賀平野が有名)などの開発も進んだから、多くの傍系親族や隷属民が土地を得て自立し、小規模とはいえ一人前の本百姓になることができた(寛永期以後の鎖国や商工業の後退で生じた失業者も同様)。この動きは、農地面積の拡大、面積あたりの収穫の増大の両方を意味したから、「本百姓からの世帯単位での年貢徴収」を基礎とした幕藩財政の収入増加にもつながり、武士にとってもきわめて好都合だった。こうして傍系親族や隷属民を含んだ大規模世帯は減少し、世帯ないし家族の規模は縮小に向かった。他方、これまで財産をもたないため結婚が困難だった傍系親族や隷属民は、本百姓化によって結婚できるようになったし大家族での労働は不要とはいえ完全に単身で農業を営むのも困難だったから、結婚率の上昇による人口増加が必然となった。
(2)ところが18世紀には、前近代の技術による開発が限界に達し、土地不足と人口圧力が顕在化する。17世紀に分家して自立・結婚することが簡単だった農家の次男や三男は、ふたたび結婚難におちいる。しかし18世紀日本では、農業集約化に拍車がかかっただけでなく、農村でも都市でも商業・手工業が発展し、こうした次三男を中心に多くの男女が他家に奉公に出るようになった(一部はそこで主人の婿養子になるなど結婚し、のれん分けで自分の商工業経営を開始した)。年季が明けると実家に帰りそこでやがて結婚する者も多かったが、奉公人の増加は全体として、結婚年齢の上昇とそれによる夫婦1組あたり出産数の減少につながった(堕胎や嬰児殺しを主な方法とする人口抑制というのは「神話」にすぎない)。おまけに日本の土地は世界では例外的に清潔だったとはいえ、やはり劣悪な環境や感染症その他の原因で「都市=蟻地獄」の構造は変わらなかったから、都市に出る人間の増加による死亡率上昇はバカにならなかった。要するに18世紀は、17世紀のようにみんなが自己の財産・経営をもって自立できる時代ではなくなったことを背景に、結婚率の停滞、晩婚化と出生率の低下、トータルでの人口停滞などが顕著になった時代と考えられる(それでも大規模な経済破綻や反乱はおこらず、幕末以降の急速な発展が準備されたのだから、18世紀の経済発展はすごいものだったのだが)。


(おまけ)
日本人口史の議論に関連して、院生や高校の先生に(まだだったら)ぜひ読んでいただきたい本を2冊紹介しておこう。
まず現代の少子・高齢化について、大泉啓一郎『老いてゆくアジア』(中公新書、2007年)。
img209.jpg

近世日本(と世界)の土地・資源不足を土台とした経済・社会変動について、大島真理夫編『土地希少化と勤勉革命の比較史』(ミネルヴァ書房、2009年、6500円+税)
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とくに第二章「江戸時代前期における経済発展と資源制約への対応」(江藤彰彦)がおもしろい。



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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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