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「程度の問題」を考える能力

昨日の毎日朝刊の記事。13面(科学欄)の「坂村健の目」はコロナウイルスについての「正しく恐れるということ」。研究が進んでいないコロナウイルスについて「何が正しい」かはまだはっきりしないが、そういう時に常に頭に置くべきは「「程度の問題」という言葉だ」とする。
 つまり「「正しさ」は「0か1か」ではなく「程度の問題」。「少しでも効果があるなら、した方がいい」が感染症専門家にとっての「正しさ」でも「本当に必要な人のために、少しの効果ならやめたほうがいい」という公衆衛生の専門家は「正しさ」を天秤にかけている。基本は、医療資源を浪費せず、高齢者はガードすること。
「どう判断しても、将来的には間違いとなるかもしれない。しかし、唯一言えることは、このような複雑な問題に対し極端だからこそ単純で魅力的な--「0か1か」の解答を求めることは間違っているということなのだ」。

 理数系の学問は全部公式や法則に従って唯一の正解が出ると信じ込んでいる学生にあきれかえったと以前書いたことがあるが、ここで問題になるのは「確率」「費用対効果」などの概念だろう。それらにまったく無理解なままで「教養」だの「批判精神」だの言い立てる人文学者や、あれこれの理由を並べて「唯一の正解だけを求める」つまり「0か1か」の世界に生徒を駆り立てて平気な地歴科教員に、「上の(坂村氏の)文章を100回書き写せ」という課題をやらせたい。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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