『ことばの教育を問い直す』

たまたま見つけた本だが、母語と第2言語・外国語の関係(教育における母語教育と第2限後・外国語の教育の関係を含む)だけでなく、一般的な理論と実践の往復、教育の目的と方法などの議論も、きわめて啓発的である。
「まず知識を教えないと考えさせることはできない」「理論は生徒に難しすぎるから具体的事例を教えよう」などと言いつのる現場の歴史の先生(多数の大学教員を含む)を説得するのに、私が万言を費やすよりこの本を読ませる方がいいような気がしてきた。
で、史学系にもよくいる、問われたことに答えられない学生たち。「Aはなぜ起こったか」と聞かれて「Aがどのように起こったかのプロセス」をとうとうと述べる学生。「CはDか否か」と聞かれて「今はEのことを考えるべき時代だ(Dは議論にならない?)」と答えてオシマイの学生、「Gはどんなものか説明せよ」と求められて「Gの属性の一部であるF(しかしGだけの属性ではない)について説明を始める学生」... そして、それらの議論の例として挙げるべき、高校歴史の定番の事件や用語を聞かれて思い出せない学生。
やっぱり対話型の授業より一方的講義の方が楽なのは間違いない。
ここで「学生の(間違っていても)自由な発想を大切にし、そこから学習を導こう」という気になかなかなれないのは、未熟な私の自己責任だろうか。この国の教育に欠陥があるということは、本当に考えなくていいのだろうか。
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