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教科内容学の必要性-阪大歴教研の開催趣旨(2)

歴史教育の仕事に取り組んだ結果わかってきたことがいくつかある。

そのひとつは、教育学系や高校現場の議論にすっぽり抜けている部分があることである。
歴史教育の理念や大目標にかかわる議論、社会科がいいか地歴科がいいか、といった理念論争が一方にあり、1つのテーマ(例:モンゴル帝国、アメリカの黒人...)や1時間の授業をどう意義あるものにするかという実践論が他方にある。ところが、この30年間ですっかり変わってしまった歴史学、いいかえればその間に判明した膨大な新事実や新しい説明にもとずいて、教科書や教える中身をどう再構成するかという議論が見えてこない。その面ですでに、学習指導要領と教科書が激変しているにもかかわらず、である。
 *近十数年の学習指導要領について「ゆとり教育」のイメージしかもっていない方は、あと2つの特徴(良くも悪くも)を知っていただかないと困る。第一に学校ごとの、また生徒に応じた多様な教育を強制しており、昔のように普通科なら全国一律に世界史・日本史・地理を学ばせる、といった仕組みを否定していること、第二に学問の進歩と社会の変化に合わせて、教える内容を刷新するように強制しており、受験があるからといってそれ以前の世代が教わったとおりに教えるようなやり方を否定していることである。

現在の歴史教育は、古い理解にもとづく入試が根絶されていない一方で、部分的・断片的に新しい内容(典型的には社会史の成果)が導入されていることが、教える側・学ぶ側双方のやりにくさを増幅している。新しい内容を体系化すること、いらなくなった古い内容をスクラップすること、われわれはそのお手本を示そうとしている。学芸大の先生も「教科内容学」が必要になっているとおっしゃっていた。
 *(以下は私の個人的見解です)われわれは歴史教育とナショナリズムや戦争の問題について、直接これを取り扱ってはいない。それは一面で「逃げ」であるが、他面では上のような歴史教育の欠陥を改善することなしに(また論理的に歴史をとらえる訓練なしに)、政治的・感情的な水掛け論から抜け出すのはまず無理だからである。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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