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戦後中国史学の達成と課題

『歴史評論』1月号(通巻837号)の特集。
岸本美緒さんの総論と古代国家史研究、六朝~隋唐期の「共同体」論争、宋代郷村社会論、明清時代の地域社会論の4つの各論からなる。

これも途中までしか読んでいないのだが、「現場へ行けない」条件下で「日本国民のために」行われた議論であったことが特集全体で踏まえられてはいないようだ。

もう一点、古代と南北朝~隋唐の両方で使われた「共同体」という用語というか観念。学生・院生時代にいくら聞いても、私は中国史の共同体という観念が理解できなかったのだが(大塚久雄の共同体の基礎理論の方がまだしも理解できた)、これは単に私が不勉強で頭が悪いというだけではなく、当時の中国史での使い方が不適切だった面があると、今では考えている。当時でも「共同体」と「共同態」という言葉の区別はあったはずだし、その後は「ソシアビリテ」「公共性」「公共空間」などの用語も一般化した。当時の研究者が人々の結びつきを希求したのはよくわかるが、それを「共同体」と呼び続けたのは安易ではなかったか。

戦後歴史学の全否定はもちろん正しくない。「らせん状の発展」の法則からいって、やっぱり以前の見方が正しかったとなる段階が来ることも念頭に置かねばならない。しかしせっかくの史料状況や調査条件の好転(ただし今後の暗転が心配)を、古い理論枠組みや用語法そのものに流し込むのは感心しない。「らせん状発展」は上から見れば「以前と同じ」だが「横から見れば別の物」である、といった「弁証法の基礎」を忘れると「年寄りが昔を懐かしむ」だけに終わる。

脱線だがそういう点で、先々週に近著の合評会があった中村哲先生(1931年生まれ)が2010年の論考で初めて少子高齢化や近代家族とジェンダーの問題をご自分の(東アジア)資本主義論に組み込んで語られたようなあり方(その論点は、この日曜日にジェンダー史シンポで聞いた落合恵美子さんたちの家族研究とも十分対話が可能と思われる。両者に共通するアジア諸国の研究者との長期にわたる深い共同研究の組織という面も見のがせない)こそが、戦後中国史学や戦後歴史学を今に活かす道だろう。


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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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