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ことばの教育を問いなおす--国語・英語の現在と未来

キャンパス内で散髪のあと、隣接する生協書籍部で購入。ちくま新書で鳥飼久美子、苅谷夏子、苅谷剛彦共著(対談ならぬ「対書」つまり相手の文章を読んでそれに対する文章を書くということを繰り返して出来た本だと、前書きにある)。

帰宅する電車の中で読み始め、まだ最初の1章(苅谷夏子氏)も読み終えていないのだが、国語教育の目標(母語なら自然に身につく日常語を超えた読解や表現の能力)は「普段着」とは別の「よそいき」「正装」ではなく「どこへ出ても恥ずかしくない普段着」を持つことだという説明、「伝説の(中学)国語教師」大村はまの教室で学んだことを、卒業生が「コンピューターに例えればOSだ」と表現したことを引きながら、苅谷氏が実際にはどの科目でも、「学ぶということは、OSの部分と個々の知識・スキルとの間を行き来しながら、両方を育て、更新していった時にもっとも意味を持ち、成果を上げ、根を下ろすのかもしれません」と述べるあたりを読んで、学生にこれを10回書き写させたくなった(笑)。自分を含む日本人が「なぜ英語(外国語)が話せるようにならないか」について、私はいつも「みんなの頭にインストールされるOSに「外国語アプリケーション」を起動させるファイルがついてないからだ」というたとえ話をしてきたのだが、これが素人考えの不適切なたとえではないことがわかった次第である。明日以降の通勤電車で、続きを読むのが楽しみだ。中高生の頃ならそのまま布団の中で読み続けたのだが、今はそんなことをすると翌日の活動に差し支えるので(明日は阪大歴教研)、我慢して明日にとっておこう。

とにかくこういう議論の方が、抽象的な「批判的思考力」のために文学教育を守ろうという種類の議論よりずっと生産的だろう。
そうそう、鳥飼さんの「はじめに」によると、英語教育の「4技能」というのはEUではもう古いのだそうだ。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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