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「論理国語は必要か」

昨日の毎日朝刊ではもう一つ、「論プラス 「論理国語」は必要か 文学軽視への懸念も 背景に読解力低下」(濱田元子編集委員)にもふれるべきだろう。入試改革関連でたびたび取り上げられている、「文学を減らして企業や自治体の広報の文章、法令文や会議、裁判の記録などを読み解かせる」ことの是非に関わる記事である。

結論部で「批判的思考力を深めるという理念は大切だ。外国人との共生が進み多様化する社会の中で、世代やジェンダー、母語といった違いを超えて、会話の言葉やその行間を通して相手を理解し、自分の思いも伝えていかなければならない。「読解力」は社会生活の根底をなすものだ」と述べるのは、PISA調査の結果発表の後だとはいえ、「まず読解力、表現力はそのあと」と言っているように見える部分がものすごく問題だと思うが(歴史における「まず知識、考え方はそのあと」というのと同様だとすれば、非科学的だし社会的にも問題が大きい)、そのことに目をつぶれば前半は正当だろう。問題は「文学軽視」を批判する側が主張するほどに文学は不可欠で、しかも従来の比率が示すような文学優位で上のような社会生活に必要な読解力や表現力が本当に保証できるのかという点だろう。その点で文学擁護派は、古典教育シンポでの古典擁護派と同様に、なにが問題になりなにが要求されているのかを正確に理解していないように思われる点が、同じ人文学を業とする者として心配だ。また古典教育シンポのディスカッションでも突っ込まれたように、文学必要論が古きよき文系インテリの視点で語られていることも看過できない。

この記事でPISA調査のデータを引き、「本を読む頻度が高い生徒、なかでもフィクションやノンフィクション、新聞をよく読む生徒の方が読解力の得点が高かった」とするのはいいとして、「文章が論理的であるか、文学的であるかを問わず、活字や多くの言葉に触れる習慣が、批判的思考を育んでいるということではあるまいか」は全然議論がずれている。どうして勝手に読解力を「批判的思考」(「クリティカルシンキング」の連想か)に目標をすり替えるのだろうか。途中にもPISA調査について「「事実」と「意見」を的確に区別し、情報の正確性や論拠を明確にしようというものだった」「単なる「読み取り」だけでなく、自分の考えを根拠を示して説明する、批判的思考が求められたが、正解率は低かった」とあるのも、とりあえず高校時代に現代国語は全国模試100位以内でとりわけ論説文は大得意だった私には、文学擁護派の意見と同様、「批判的思考力」の使い方がおかしいように思われてならない。


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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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