極寒のハノイ(一部修正)

連休明けの今日、ようやく医者に行った。
バクザンからハノイに戻り3泊して帰国したのだが、バクザン以上に寒く、元日のバクザンで引いた風邪がすっかりぶりかえしてしまった。昨日は仕事で東京往復したのだが、正直しんどかった。

(以下の段落は修正)
ハノイでは、最低気温が10度を切って小学校が休みになった日があったそうだ。ちなみにこの冬は、パガンなどビルマの内陸部(上ビルマ)も寒かったそうだ。あとで新聞を読むと、ラニーニャ現象(エルニーニョの反対)のせいで熱帯の暖気の範囲が南に押し下げられているらしい。太平洋の東岸からインド洋西岸までつながったエルニーニョ=南方振動は、図式が複雑で理解するのがたいへんだ。
なお、日本も寒いがロシアなどは暖冬だと聞く。それは中緯度帯の高気圧が強く北極圏(気圧は低い)の寒気が吹き出せないという北極振動がヨーロッパ側で起こっているが、ジェット気流が蛇行して極東側では寒気の吹き出しが可能になっているということだろうか。

ベトナム紹介の場では何百回も話したり書いてきたことだが、ベトナムの北部・北中部の冬はじっさい寒い。気温はもちろん日本列島よりずっと高いのだが、空は数ヶ月にわたってどんより曇ったままで湿度もかなり高く、家は風通しよく作ったモルタルやコンクリートの家だから、とても寒々しく感じる。洗濯物は干しただけではいつまでたっても乾かない。私はよく似た環境の京都ということろで学生時代をすごしたので驚きはしないのだが、暮らしやすくはない。

いちばん寒いのは東北モンスーンが吹くときなのだが、それがゆるんでいくらか気温が上がると、霧雨が降る。バクザンの最後の数日がその状況だった。乾いてほこりっぽい北部の冬にうるおいがもたらされる。大事なのはこの雨が、1月末から2月にかけておこなうチエム作(冬春作)の稲の田植えに役立つことだ。北部・北中部のデルタ・平野では雨季に完全水没するため伝統的にはチエム作しかできない地域が多かった。革命後には多くの地域で用水・排水施設の建設により2期作(+冬の裏作として野菜やトウモロコシ・イモ類など)が可能になったが、ドイモイ後には、伝統的により安定的とされてきた雨季作(雨季の洪水は完全には防げない)よりも、水管理と温度管理をきちんできれが確実に収穫できるチエム作が重視されるようになってきたそうだ。

しかし桜井由躬雄氏の有名な研究によれば、歴史的にはチエム作は不安定で、そのためチエム作に依存する村落は近世に流散を繰り返してきた。冬春季の気温が低すぎれば苗が寒さで枯死する。逆に気温が高いと晴れてしまい霧雨が降らないので田植えの水がなくなり旱魃被害が出る(私の留学中の1987年春季がそれだった)。

今回の調査中に読んだリーバーマンの論文では、中世温暖期に東南アジア大陸部でも降水量が増え稲作が安定化したが、14世紀以降の小氷期には降雨が不安定化したという理解を、新しいデータも紹介しながら強調しているのだが、基本的に雨季の降水に依存した稲作をおこなう他の地域と違い、北部・北中部ベトナムは古代からチエム作が
大きな意味を持っている。過去の気候変動がこれにどういう影響を及ぼしたかはまだ十分わかっていないと思われる。たとえば、桜井氏が強調したチエム作の不安定さは、14世紀以後の小氷期の特徴である気温・降水の不安定さが増幅したものかもしれない。ただ、その前の「中世温暖期」に暖かすぎて冬季の旱魃が起こることがなかったかどうかは、よくわからない。

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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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