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金正日の死

ポル・ポトもサッダーム・フセインもカダフィも、そして金正日もすべて69歳で死んだそうだ。

北朝鮮のこれまでと今後についての論評は私がするまでもないので、若い人が知らない別の話。
・1960年代末まで、北朝鮮のほうが韓国より一人当たりGDPが高かった。朝鮮半島の鉱産資源は北部に集中しており、日本支配下の工業化も北部で進んだのが大きな原因とされる。それにしても、「社会主義の優位性」が目に見えた時代は、そんなに遠い昔ではない。韓国は貧しいうえに朴正煕政権の人権抑圧もひどかったから、「資本主義がよい」とはいいにくかった。

逆に年配で、「今でも社会主義に夢をいだいている」人に考えてほしいこと。
・状況が変わると、一見正反対のものが結合することが、歴史上にはしばしば見られる。世界史の定番でいえば「啓蒙専制君主」はその一例だろう。「社会主義」も例外ではない。「民主主義人民共和国」で「王朝」ができることもありうるのだ。残念ながら、歴史は一直線には進歩しない。

ついでに脱線。
「李氏朝鮮」になぞらえて現体制を「金氏朝鮮」と呼ぶ場合があるが、現在の高校世界史教科書では、「李氏朝鮮」から「朝鮮王朝」に呼称が変わっている。韓国が自国の過去の国名を「朝鮮」と呼びたがらないという問題もあるだろうが、もともと「李朝」はともかく「李氏朝鮮」は歴史上に存在しない呼称だし、国民国家の直線的な歴史を相対化するのが常識になった現在では、三国時代や新羅(+渤海)、高麗などの時代を「朝鮮という国のそれぞれの時代」でとらえていいかどうか疑問なのである。それは朝鮮を韓国に言い換えても同じことである。

もうひとつ、歴史学者でも知らない人がおおぜいいるのが、現在の教科書や学界では「オスマン・トルコ」とは呼ばないこと。オスマン帝国と呼ぶ。オスマン帝国が「うちはトルコ人の国だ」と言い出したのは、ほかの民族が従わなくなった帝国末期のことで、それまでは多民族帝国だった。歴代スルタンの母親は大半がトルコ人以外の出身であり、スルタンすら「トルコ人」と言えるのは父系主義で見た場合だけだそうだ。

こういうふうにいろいろな面で、世界史は昔とずいぶん違っている。それは、歴史が「現在と無縁な動かない過去」ではないことを意味するだろう。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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