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アジアから見た世界史とは~「中心中心史観」にからめとられないために

遅ればせながら岡本隆司『世界史序説』を購入。明晰で読みやすいのは「京都流」の伝統か。

しかし梅棹忠夫『文明の生態史観』にかなり頼っていながら、同書がふれている東南アジア(と東欧)をまったく無視しているのは、最初の方の従来の東洋史側の難点を書いたところで、東南アジア地域研究が30年以上前に議論したのと同じ問題を取り上げながらその議論を参照しない点とならんで、いただけない点である(どちらの問題も40年前なら仕方がないが、今は日本語で簡単に参照できる文献が少なくない)。本書の各処に挿入されたユーラシアの地図のほとんどで、東南アジアにまったく国名や地名が記入されていない点が、本書の認識を象徴している(アジアの地図を手で描かせると、中国とインドの間がない地図をたいていの学生が書くが、それと同じ心象地図をもっているのかと突っ込みたくなる)。おっと、地図を作ったのは著者じゃなくて学生時代に東南アジア史など全く習ったことのない編集者かもしれないな。

本書は西洋中心史観を批判し倒し、返す刀で中国だけの東洋史も批判しているが、アジアで視野に入れるのは、たいていの中国史・中央ユーラシア史研究者と同じで、東アジア・中央アジア以外では南アジアと西アジアだけである。
しかし、東南アジアのような「中心性を主張しない地域」を無視し、強いもの・大きいもの・進んだものしか見ようとしない「中心中心史観」に立つのであれば、西洋中心史観批判の値打ちが大幅に下がるというものだろう。20世紀末以降の歴史学は、「世界史を語るには各時代・地域の最強・最優秀なものだけ語ればよい」という観念--それも著者がくりかえし非難する「近代西洋で作られ日本人が真に受けた歴史観」の一部である--乗り越えようとしてきたのではなかったか。

この点で本書は、再三紹介しているアメリカのリーバーマンの「これまで世界史を論ずる者は系統的に東南アジアを無視してきた」という批判がみごとに当てはまる。近代化・モダニティとグローバルヒストリーの中身・意義の理解が古い(それで現代アメリカと中国の理解に役立つか?)点、生活のイメージが希薄な点(例:14世紀の危機の説明の貧弱さ)などとならんで、本書の大きな欠点である。やっぱり宮崎市定・梅棹忠夫と杉山正明の枠組みでは21世紀にふさわしい世界史が書けないのは、上原専禄の枠組みで21世紀の世界史教育ができないのと同じことだろう。

こうした枠組みの古さに災いされて、随所に見える著者ならではの鋭い叙述が生きず、全体が悪い意味で「バブル期までの常識に縛られたおじさんビジネスマン」向けの本になっていないか。日本史について近代化の土台を造った近世史だけ唐突に書くのも、「それ以前の日本史など取るに足らないもの」と見なす限りは、アジア史を見ようとしない日本史への批判にならない。

雑誌の連載という元原稿の性格から見てあまりやっつけては気の毒かと思う。妹尾達彦氏の『グローバルヒストリー』などと本書を比較するのは酷だろう。高大連携歴史教育研究会の会長としてはこういう論争的発言は慎むべきかもしれない。しかし尊敬する優秀な後輩の著作であるがゆえに、あえて苦言を呈しておく。

(追記)上記をおかしないちゃもんだと思う方は、大阪大学歴史教育研究会編『市民のための世界史』(大阪大学出版会、2014年)に描かれた世界史像と比較していただきたい。また世界史の考え方については、ミネルヴァ書房『「世界史」の世界史』(2016年)の「総論 われわれが目指す世界史」を参照していただけると有り難い。
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No title

「苦言」ありがとうございました。
敬愛する先達のご叱正をいただけるのは望外の喜びです。
先生のお立場ご所論は、もとよりすべて承知しております。
すでにアメリカ・オセアニア・アフリカの叙述がないのはなぜかとの批判を頂戴しております。東南アジアも同じでしょう。すべて織り込みずみで、あのような著述になっております。
筆者の立場は拙著、とりわけあとがきに記したとおりです。その立場から「明晰」な体系の論述を得るのに最も便宜な着眼とは何か。おそらくそこから「苦言」が導かれるものと拝察します。
脇がスカスカの論述にみえることは自覚しておりますし、アウト・オヴ・デートとの批判も甘んじて受けます。しかし歴史学・歴史叙述は、最新の学説がベストとは限りません。
拙著はいわゆる中心史観かもしれませんが、多元性を主張したものでもあります。登場しないところは、存在しない、無視していいことを意味してはいません。
そんな多元性に即して今後も考えていきたいですし、議論も深めていければと思います。

No title

コメントをいただいていたのに気づかず失礼しました。
「分担執筆ではダメ」「選択の体系」などのお考えはまことにもっともです。
ただし(失礼を重ねる表現になりますがご容赦下さい)今回の選択の体系は、歴史学が現在果たすべき役割ともっている能力から見て、設定した敵やそれを乗り越えて示す像のレベルが低いと感じます。それから「東南アジアが入っていないこと自体」を批判しているのではありません。「この選択の体系であれば東南アジアが入らないといけない」はずなのにそれがされていないから批判しているのです。妄言多謝。

No title

コメントをいただいていたのに気づかず失礼しました。
「分担執筆ではダメ」「選択の体系」などのお考えはまことにもっともです。
ただし(失礼を重ねる表現になりますがご容赦下さい)今回の選択の体系は、歴史学が現在果たすべき役割ともっている能力から見て、設定した敵やそれを乗り越えて示す像のレベルが低いと感じます。読者のレベルに合わせるとこうせざるを得ないという考えには賛成できません。それから「東南アジアが入っていないこと自体」を単純に批判しているのではありません。「この選択の体系であれば東南アジアを入れる方がずっと得策である」はずなのにそれがされていないから批判していることをご理解いただければ幸いです。妄言多謝。

No title

あらためてのご「批判」ありがとうございます。
しばらく体調を崩しておりまして、反応する余裕なく失礼いたしました。
懇切なご指導には、ただ深謝ばかりに存じます。
「入らないといけない」「ずっと得策な」のに、入れられないのは、筆者の力不足以外の何物でもありません。
それはまるごと受け止めたうえで、やはり立脚点のちがいからでしょうか、「歴史学が果たすべき役割と持っている能力」には、おっしゃるほど楽観的にはなれません。「低さ」は「像のレベル」「読者のレベル」というよりも、歴史学の一面(もとよりすべてではありません)のほうだと考えます。
もちろんそこに筆者も含まれるわけですので、力不足となってしまうのでしょう。それも斯学の現状だと認識している次第です。

No title

おや、体調の悪いところにすみません。
どうぞお大事に。

私は「森安間野論争」を止揚できない中央ユーラシア史に未来はないと思いますし、より広く言えば中東イスラーム中心史観、遊牧民中心史観、中国中心史観の間の低レベルな「覇権争い」にも不満です。そのへんの省察なしにヨーロッパの後進性やアジアの先進性をいくら書いても、「西洋中心史観」を打破することはできないでしょう。
それらの「中心中心史観」では近世までの日本を「取るに足らない辺境」と見がちな点も、大きな欠陥です。そうした点について、岡本さんの像をより積極的に出していただけるといいと思います。

なお、低レベルな部分だけ見てグローバルヒストリーの批判をする点には抵抗があります。
フランクやポメランツをやっつけてもグローバルヒストリーをやっつけたことにはならないでしょう。「地域の実情を知らない」はその場合に、いちばん初歩的な批判でしかありません。たとえば14世紀の危機とモンゴル帝国の崩壊や17世紀の危機を、現在のグローバルヒストリーは「おじさんビジネスマンが好む覇権争いの歴史」よりずっとヴィヴィッドに描くことができるはずです。妹尾達彦さんはそこをしっかり意識しておられるのだと思います。あるいはアメリカの東南アジア史家Victor Liebermanも「寄せ集めでなく一人で気候変動や伝染病の歴史まで含めたユーラシア史を書く」ことに挑戦しています。
われわれもそういう方向に向かっていきませんか。

No title

コメントありがとうございました。
なかなか時間がとれず、反応鈍くなりまして失礼しております。
ご高説うかがいまして、はじめにいただいた「苦言」の外貌ほどに隔たりはなさそうだと感じております。
別に「グローバルヒストリーをやっつけ」て喜んでいるわけではありませんし、実際「やっつけ」ようとしているわけでもありません。目的は何よりも明晰な歴史叙述です。
そのあたりなかなか通じないところが、拙著に対する毀誉褒貶になってあらわれているものと思います。
もちろん勉強不足・筆力不足が第一ですので、そこに辯明の余地はありません。まだまだ精進かと存じます。

Re: No title

議論に付き合っていただき有り難うございます。
東洋史の側からの積極的な発信には大賛成です。「明晰な歴史叙述」のために試行錯誤や斬り結びが広がることを祈っています。
こちらもそろそろ『市民のための世界史』を改定したいのですが。また、東南アジアを「無視」でも「いい加減で不正確な叙述」でもなく適切に書き込んだアジア史や世界史を、東南アジア専門家以外の学者が書く日がいつか来ることも祈っています(東南アジア史側ではVictor Liebermanの大著があります)。なお中緯度の農牧接壌地帯を世界史の中心とした場合に、南アジアがうまく入らなくなるのをどうするかも、考えどころだと思います。その他、妹尾達彦さんのグローバルヒストリーへの批判もこのあと載せますので(FBには掲載済み)、ご一読いただければ幸いです。

> コメントありがとうございました。
> なかなか時間がとれず、反応鈍くなりまして失礼しております。
> ご高説うかがいまして、はじめにいただいた「苦言」の外貌ほどに隔たりはなさそうだと感じております。
> 別に「グローバルヒストリーをやっつけ」て喜んでいるわけではありませんし、実際「やっつけ」ようとしているわけでもありません。目的は何よりも明晰な歴史叙述です。
> そのあたりなかなか通じないところが、拙著に対する毀誉褒貶になってあらわれているものと思います。
> もちろん勉強不足・筆力不足が第一ですので、そこに辯明の余地はありません。まだまだ精進かと存じます。

No title

重ねてのコメントありがとうございました。
妹尾先生のご高著への批判も拝見しました。なかなか時間がとれず、返信が遅くなりましてたいへん失礼いたしました。
妹尾先生のご研究はずっと参照させていただいたものですから、ご批判も自身の勉強になります。ひきつづき反芻していきたいと思います。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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