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與那覇潤さんの新著ほか

與那覇潤さんの新著『知性は死なない 平成の鬱をこえて』
羽田正さんの『グローバル化と世界史』
小島毅さんの『儒教が支えた明治維新』
小浜正子さんほかの『中国ジェンダー史研究入門』

最近読んで参考になった本である。講義に活かしたい。
なお羽田さんには「阪大の秋田や桃木の言ってるグローバルヒストリーの中身は賛成するが、なにかというと大阪大学を連呼するのはよその人間が協力しにくくなるのでやめるべきだ」とご批判をいただいた。まことにもっともである。ただそれを東大の有名教授に言われると反発したくなるのが、私のような小人の性である。人類史上で自己の集団に固有名をつけて自己主張しなければならないのは、どんな集団がどんな状況に置かれた場合だろう(このテーマはアクティブラーニングの課題になるはずだ)。
自己主張は他者との関係の緊張が求めるものだろう。それがなければ「お前たちはなに人だ」と聞かれても「人間だ」と答えていればいい。では他者との関係が中心-周辺関係である場合、ものごとの固有性は中心と周辺のどちらに顕在化するだろうか。中心に飲み込まれまいとする自己主張であれ中心側からの差別的なレッテル貼りであれ、また周辺側を呼ぶ呼称であれ中心側を呼ぶ呼称であれ、それは周辺側に顕在化する。ヨーロッパで「歴史」と普通名詞でいえば最近まではヨーロッパの歴史を意味した。ベトナムの歴史は「ベトナム史」と固有名を言わねばならない。日本の大学では「哲学専攻」と「中国哲学」「インド哲学」などの間にもそういう関係がある。メールアドレスの最後に国名略称を要求されるのはアメリカではなくその他の国々である。

つまり東大の先生は東大を連呼する必要はないが、阪大が(医学部はいざ知らず人文学で関西以外にも)認知されようと思うと、いささかどぎつい宣伝も必要になるのである。
と言ったら賢い東京の学者さんたちにどう粉砕されるだろうか?

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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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