スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

柏レイソルの優勝

もう3日前だが、サッカーJ1でJ2から昇格したばかりの柏レイソルが優勝した。
今季の日本代表が1人もいないチームという点でも快挙だろう。
たくさんの新聞記事の中では、報知の下平隆宏さん(柏のU18監督)のインタビューが参考になった。

・Jリーグ発足に乗り遅れた当時は万事よくわかっておらず、J加盟後も初めは大物外国人頼りのチーム作りをした。
・西野監督(このほどG大阪の監督を退任)がまずはカウンターサッカーを定着させナビスコ杯優勝などの成果をあげたが、西野解任後チームはバラバラになった。
・05年に東京VからGMとチーフスカウトを招き(東京Vは初期Jリーグをリードする強豪だった)、それから選手・現場・フロントが同じ方向を向くような改革が進んだ。
・酒井(今季新人王)の活躍などユースとの連携が推進された。

こうした土台のうえで、初年度J2降格が決まってもネルシーニョ監督をクビにせず(プロ野球でも、西本監督は阪急・近鉄とも初年度最下位からスタートした)、その後もレアンドロ(今季MVP)とジョルジワグネルなど的確な補強をしたフロント、ゲームの組み立てから選手起用までトータルでチームの総合力を引き上げ発揮させたネルシーニョ監督の手腕、ベテラン北嶋のがんばり(西武ライオンズが最初に優勝した際には、田淵、山崎らベテランの役割があった)など多くの要素がかみあって、今季の優勝ができたのだろう。

比重の大小や、あとから「あれが決め手だった」と思う要素はあっても、実際にはどれか一つの要素だけでは説明できない連鎖反応や相乗効果が、歴史を動かすものだ。

ネルシーニョ監督のインタビュー記事で面白かったのは、最初に選手に要求したのが2つのポジションをできるようになることだという話である。メンバーを固定しない選手起用の背景にこれがあったわけだ。もっとも野球では(逆に「強力な固定メンバー」でしか戦えなかった上田利治のような監督もいたが)。サッカーではどうだろうか。

ところで私は、ふだんサッカーの話をほとんどしないのだが、中学~高校のころはサッカーやラグビーの中継をよく見ていた。最後は巨人が勝つという筋書きの「西部劇の一種」だったプロ野球に失望しかかっていたところに、メキシコオリンピックでのサッカー日本代表の銅メダルなどを見たせいである(のちに阪急の3連覇がなかったら、私はプロ野球ファンをやめていたかもしれない)。

そのころにも、レイソルの全身である日立(当初は「日立水戸勝田」と区別して「日立本社」と呼んだ)が、日本リーグ加入後いったん没落して、そこから立ち直り天皇杯や日本リーグで優勝するというできごとがあった。高橋辰一郎監督に、山口、野村、松永、碓井などという選手がいた。立て直しの最初は90分走り続けるサッカーで、やがて戦略眼や得点力もアップしたというパターンは、今回と似ている気がする。

たしか72年正月の天皇杯決勝で、釜本のいたヤンマーディーゼルの猛攻をしのいで勝った試合を、いまでも覚えている。そのときの決勝点は、自陣後方からのロングボールを右中盤で受けた野村(日本リーグ初代得点王)がダイレクトでゴール前に上げ、左から走り込んだ松永がヘッドで決めた、一瞬の居合い抜きのようなプレーだった。





関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。