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ルールと日本人

忙しくて全然記事が書けない(より簡便なFBはなんとか書いてるがブログは面倒くさい。そしてしばらくログインしないと確認キーが必要になるなど余計に面倒になる)。その間に総選挙も終わったし野球などのいろんなイベントもどんどん過ぎていく。

今回の総選挙で問われたのは「ルールにもとづく政治」か「多数決で信任されればルールにこだわらなくてよい政治」かであろう。
そこで日本社会の場合問い直されねばならないのは、
(1)現在の選挙のルールは適切・公正かということ。選挙の勝者は常に「多数の信任を得た」と主張するが、実際に積極的に支持する投票が投票総数の半分以下、有権者全体から見れば20%台というような選挙で「多数の信任を得た」といいうる現在の仕組みは根本的に間違っていないだろうか。その意味で1990年代に「政治改革のための小選挙区制導入」の旗を振った人々にいくらか反省が出て来たのも当然だろう。そもそも小選挙区制支持論の背景にある二大政党制が最高の制度だという考えは、農業は何でもかんでも大規模化すべきだという考えと同様、近代日本が英米に洗脳された(むしろ自己洗脳した)結果に過ぎない。いい加減に夢から覚めるときだ。比例代表制を中心にした選挙制度で「小党分立→政治不安定」に直結していない国があることを、真剣に見るべきだ。
 もう一点、若い人は知らないだろうが、昔はもっと選挙期間が長かった。演説会や討論会がたくさんあった。それに戸別訪問が禁止されている先進国はほとんどない。もし現在の日本の選挙制度が「国民の支持」を受けているとすれば、その国民は「熟議などという面倒なことはイヤだ。選択はなるべく単純にしたい」と考えていることを示す。それは社会主義国などの独裁国家の「形式上の信任投票」としての選挙--社会主義国にもたいていは選挙があることを、皆さんご存じですか?--と限りなく近いのではないか。
(2)そこからかなり飛躍だが、先週の講義で「海外で傍若無人に振る舞う日本人」と「外国人のやり方を過剰に気にしてそれに迎合する日本人」に共通する「国際共通ルール」に関する考え方は何か、という問いを出した。私の答え(同じことをコメントペーパーに書いた学生がいた)は、「外国人と話し合って共通ルールを作るという発想や能力の欠如」である。だから「日本のムラ社会の常識」で突っ走るか、相手にひたすら合わせるかの両極端になる。どちらにしても国際共通ルールは自分の外にある。
 柔道やスキーのジャンプなどがルール変更で損をしてきたスポーツ界で、この問題は比較的広く認識されているかもしれない。国際政治の世界でも同じことはたくさんあるだろう(それが「国難」を招いている)。そして、選挙制度を含む国内政治も同じじゃないだろうか。ルールは(国会という遠いところで)だれかが決める。それは自分のものではない。だから棄権も増える。劇場政治に簡単にのっかる。自分のものではないのはよくないと半分はわかっているところに「押しつけ憲法を自分たちの手で変えよう」と囁かれると引っかかる。。。

「ルールか人治か」という対立を不毛な言い合いにさせないためにも、自分たちでルールを作るという面倒な経験を、国民が積まなければなるまい。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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