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『東洋史研究』の最新号

巻頭論文のタイトルに目を引かれた。山口正晃「将軍から都督へ--都督制に対する誤解--」。

魏晋南北朝期の軍事制度の柱であり先行研究もたくさんある--結果としてかえってよくわからなくなっている--都督制について、その官制上の位置づけ(独立した官であるか否か)、それ以前からある軍事指揮官の官職「将軍」との関係、集権化と分権化というこの時期の政治史の主要課題について都督が果たした役割、という3つの点を再論したものだが、「第5章 誤解の由来」が独特である。

すなわち事実問題として都督がどう解釈されるかだけでなく、先行研究が「なぜ」間違ったのかをまとめて論じている。氏によれば、先行研究は関連する正史の職官志・百官志など主要史料の性格の変遷を(誤りが出現する理由も含めて)きちんと理解せずに、列伝などの個別記述からの帰納的推論に走っている点、研究の方向を決定した厳耕望氏以来の、分権的な「方鎮」研究との無前提な結合など、史料の扱いや歴史の視点に問題があったのだという。

魏晋南北朝期中国史に限らないが、こういう「メタ認知」への省察なしにただ史料に書かれた内容の解釈に明け暮れ、結果としてクリヤーな歴史像を示すことができない歴史学者がたくさんいる。史料の収集・検索や解読がきちんとできる研究者が、たくさん史料のある近世史や近現代史で新出史料の研究をするなら、それでもよいだろう。墓誌がどんどん出てくる唐代史もそこに入るかもしれない。しかし魏晋南北朝史のような分野で、こういう学者がおおぜい群がっても、意味のある成果がどれだけ出るだろうか。たとえばそういう研究者が日本で研究する地位や公的研究費を獲得することは、「田舎に無駄なハコモノを造る」のと同じく、「雇用の創出」にはなっても、造られたものが社会的便益を生む度合いは限りなく小さいのではないか。それならたとえば、ベトナムに来れば日本人の漢文読みにしか分析できない新出文書史料が死ぬほどある。ただしもちろん、ベトナム史と現代ベトナム語を一定程度勉強してもらわないと、そういう史料を十分使いこなすことはできないが。

というわけで毎度の結論になってしまった。こういう「歴史学の内部告発」を、「役に立たない」学問を切り捨てようとする政府や財界に媚びる行為だなどというあなた、あなたこそ首相や官房長官の仲間じゃないですか。本当の「ていねいな説明」をしてください。



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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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