リーバーマンの読み方

羽田正さんの岩波新書が出た。読んだ方も多いだろう。

国民国家史観(一国史観)やヨーロッパ中心史観に縛られた歴史学と歴史像の問題点を、きわめて明快に説いている。「横につなぐ」世界史を「中心-周辺構造」抜きで描こうという羽田さんの方法論(学界改革の運動論)には大いに異論があるのだが、こういう大きな議論が出てくることは、歴史学と歴史教育の双方にとって、とてもいいことだろう。人間は一度に地球儀の全体を見ることはできないが(地球は球形だから)、だからといって地球儀は無用だということにはならない。同様に、一人で「世界史全体」を研究することは不可能だが、だからといって「世界史の全体像」が不要だとは言えないのである。

非ヨーロッパ世界の専門家にとっては、ヨーロッパ中心史観を排除した世界史を描くことが必要不可欠なのだが、それにユニークな角度から挑戦しているのが、このブログでも10月24・25日の記事などでふれた、ミシガン大学のリーバーマンの2冊本の大作『奇妙な並行性』である(Victor Lieberman, Strange Parallels, 2 vols, Cambridge University Press, 2003, 2009)。
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すでにあちこちで紹介しているのだが、この本の出発点は、紀元後第一千年紀後半から1830年ごろにかけて、東南アジア大陸部西部・中央部・東部(最終的にそれぞれビルマ、タイ、ベトナムの3国が支配的となる)において、それぞれの政治・文化統合の強化と解体の「循環的かつ線的な」パターン(14世紀前後、16世紀前後、1800年前後に危機に襲われるが、後の危機ほど期間は短くなる)が示した並行性にある。2冊本の1冊目はこの東南アジア大陸部各地域の比較に充てられるが、そこでの方法論的特徴としては、比較史に徹していること(それ以前の議論では14世紀半ば以降だけを論じていたのだが、ここでは各地域においてcharter eraつまり構成のモデルになる国のかたちが形成されはじめた第一千年紀後半に議論をさかのぼらせた)、並行性の説明において交易のような単一要素による説明を拒否し、経済(農業や貿易)と人口、気象と伝染病、軍事技術、国家の役割など多くの変数の複合による説明を対置した点にある。

出版が遅れに遅れ、しかも第1巻の2倍のページ数になった第2巻は、東南アジア大陸部3地域と、同じユーラシア周縁部に位置するフランス、ロシア、日本の政治・文化統合過程の並行性を論じるという当初計画ですまなくなり、中国とインド(南アジア)を全面的に扱うことになった。その第一の理由は、上記6地域の並行性が、単に大文明の周辺に位置したことによるだけでなく、近世において内陸アジア遊牧民の侵攻・支配を受けなかったことにもよる点にある。第2巻でリーバーマンは近世にも遊牧民の侵攻にさらされ続けた中国やインド(西アジアはさすがに禁欲したのか扱わない)をexposed zone、東南アジア大陸部などそうでない地域をprotected zoneと規定し、文明の中心-周辺というのとは違った角度から、両地域の差異を説明しなければならなくなったのだ。日本人には梅棹忠夫の「文明の生態史観」を思い出させる議論だが、あれと違うのは、清やムガルを典型として、内陸アジア系征服者が持ち込んだ効率的な行政の仕組みや統治術を、大帝国形成のカギとして評価する点で、これは現在の日本の中央ユーラシア史研究に近い(ただしモンゴルは広大な森のロシアには手を付けられなかったとして、ロシアをprotected zoneに含める)。

中国・インドを論じた第二の理由は、文明や国のかたちの形成がはるかに早いにもかかわらず、第二千年紀になると、統合の発展と解体のサイクルがprotected zoneの諸国と近似してくる点にある。日本では前田直典の「東アジアにおける古代の終末」が思い出される議論だが、もちろんリーバーマンは土地制度でなく、多くの要素を組み合わせて説明する。こうした力業にくわえて第1巻では東南アジア史を世界史に位置づける方法、第2巻ではヨーロッパ中心史観を批判する方法などについて先行する議論の要約と批判をおこない、またかれ自身の方法に対して予想される批判への弁明をあらかじめおこなうことまでしているので、本書が分厚くなったのも当然である。

この本は英語圏のグローバルヒストリーでかなり話題になっているが、賛同者は少ないように見える。ひとつの問題は10月24・25日に書いたように、意図的に政治・文化統合の比較史に徹し、しかも近代は語らない(中国やインドの1800年前後の危機の説明などで、同時期のヨーロッパとの差異をある程度述べるが)姿勢が、「経済」の「近代(化)」を中心に据えるグローバルヒストリーの主流からは理解されにくい点にあるかと思われる。

もう1点は著者の責任かもしれないが、これだけ厚い(長い)とだれも全巻を読まず、自分の専門のテーマないし地域を扱った部分だけを読むという点にかかわるように思われる。しかしウオーラーステインでもなんでも同じだが、「世界」を論じた本について、そういう読み方をしてはいけない。私に言わせればリーバーマンのベトナムの記述はもちろん不十分だ。はじめて「東南アジアを基準にして世界を論じた」リーバーマンの快挙(他地域の研究に大きな影響を与えたといっても、ギアツはあくまで東南アジアの個性を論じた。アンソニー・リードも世界を論じてはいない)に喝采しつつも、東南アジア島嶼部の専門家は大陸部の特権的な扱いに反発するに決まっている。

読者が瞠目すべきは、多くの目利きの仲間たちの助けを借りながら他人の研究をまとめて、東南アジア以外の地域の歴史やグローバルヒストリーの主要論点をまとめ、気候や病気などの「ビッグヒストリー」、まで取り込んで、ともかく比較を成り立たせたその手際であろう。
日本史の院生N君によれば、日本の日本史学界での1980~90年代の主要論点は、おおむね正確に踏まえている。インド史のMさんによれば、インド史の記述はかなりの目利きがついているとしか思えない(10月にPalat先生が論じた、湿潤農耕地帯と乾燥地帯や森が入り組む「サハラシア」の生態的特徴などもちゃんと書いてある)。律令国家から幕末までの日本史の主要論点を120頁で、マウリヤ朝からムガル解体までの南アジア史を130頁で読める注付きの入門書がほかにあるだろうか。東洋史のわれわれがまったくうといフランス史やロシア史は言うまでもない。

自分の専門外の地域や領域について知る、そして一次史料を読めない地域・領域を含めて「世界」を論じる方法を学ぶ、そういう観点に立てば、本書は実にすぐれた本ではないかと思うしだいである。

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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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