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謹賀新年

遅ればせながら皆様明けましておめでとうございます。
今年一年の、皆様のご健康・ご多幸を心からお祈り申し上げます。

旧正月が来ると丁酉の年が始まります。
過去の丁酉の年を振り返ってみると、どんなことがあったでしょうかね。
1957年、1897年、1837年、1777年、1717年、1657年、1597年、1537年、1477年、1417年、1357年、1297年、1237年、1177年、1117年、1057年、997年、937年。。。

私にとって一番大事件が起こったのは1357年でしょう。この年、大越陳朝の明宗上皇が没して、そこから陳朝は、上皇制、同族婚、一族による重職の独占などの仕組みが崩れて、後戻りのできない坂を転げ落ちていきます(妻の憲慈皇太后が生きていて、上皇権を代行していた1369年まではなんとかもっていたのですが、そのあと内乱やチャンパーの侵攻、それに14世紀の気候変動などで大混乱がおこります)。同時にそれは、「東南アジア的社会」を基盤にした唐宋変革以前のモデルに従う権力の、「近世東アジア的」小農社会を基盤とする唐宋変革以降的権力への不可逆的な移行という意味で、ベトナム王朝史を二分する大変化(「14世紀の分水嶺」)でした。2011年の拙著で専門的に論じたその変化を、「モンゴル戦争の戦後70年における、新しい危機の中での戦後レジームからの脱却」という角度から見直したエッセイが、昨年秋田茂さんといっしょに編集・公刊した『グローバルヒストリーと戦争』(大阪大学出版会)の拙稿です。ちなみに八尾隆生さんが、近世ベトナムの基本法典として扱われた『国朝刑律』の陳朝末期に始まる編纂過程の考証に関連して、14世紀以前的体制の終わり(1470年からの改革で完全消滅)と14世紀に始まる新しい構造の定着についての有益な見通しを示しています。

今年は逆に、その時期(14世紀)まで続いた体制の起源を探る試みとして、李朝期(1009-1226)における唐代官制のローカライズについてなんとかまとめること、あわせて科研(挑戦的萌芽研究)で着手した修史の研究を本格化させることなどが、今年のベトナム史研究の目標です。おっと、日本語では2011年に書いた李陳朝の公田・民田概念の高麗との比較をブラッシュアップして、3月にハノイで開かれる朝鮮史との比較のシンポで英語で発表することも大事な目標です。歴史教育や海域アジア史・グローバルヒストリーでもそれぞれやることが沢山あり、楽ではないのですが、なんとかベトナム史でも新しい成果を出したいと念じる次第です。

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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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