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ロヒンギャ難民に関する講演会

EUインスティテュート関西主催
公開講義

どなたでも参加できます。

Dr. リンゼー・ブラック
OSIPP特任准教授(ライデン大学助教)
「レトリックと責任ー2015年のロヒンギャ難民危機における傍観者としての日本」

11月16日(水)5限目(16:20-17:50)
国際公共政策研究科3階マルチメディア演習室

(講演は英語で行われます)

2015年、ミャンマーとバングラデシュのロヒンギャ人数万人が、祖国の弾圧から逃れるため、わずかばかりの食料を積み、ぎりぎりの装備しかない船に乗って航海に出た。弾圧は、ロンドンのクイーン・メアリー大学の国際的国家犯罪イニシアティブによればジェノサイドに該当するほどのものだった。国際社会が対応を怠っている間に、あてどない航海に身をゆだねたロヒンギャ人たちは人身取引のブローカーや犯罪集団の犠牲者となってしまった。その後徐々に、アジア諸国及び世界各国はロヒンギャ難民を受け入れ、危機を終わらせることに合意した。一方日本政府はというと、危機の間沈黙を保ち、地域の大国として期待される責任を果たそうとも、また自ら主張する人間の安全保障のレトリックにコミットしようともしなかった。
 難民危機が発生したとき日本政府が傍観者的態度をとるというのは、珍しいことではない。しばしば日本は難民政策については非難を受けてきた。なぜ日本政府がロヒンギャ難民危機において腰が重いのか。それを説明するには、いかに歴史的な要因が日本の対ミャンマー政策に影響を及ぼしてきたかを検討する必要がある。とくに第二次大戦中の日本のビルマ占領は、日本・ミャンマー関係に消すことのできない制約を課してきた。また、日本の政策担当者たちは、日本は戦後、先進民主国となった歴史をもつ国として、ミャンマーと国際社会の橋渡し役となり、ミャンマーに繁栄せるリベラル国家となる道を教える役割を果たすのだと説明してきた。
本講義では、ポスト構造主義的アプローチを用いて、日本が2015年のロヒンギャ難民危機にちゃんと対応し切れていない事実は、日本の外交政策のディスコースの内在的な不安定性を示すものであり、日本は価値を唱道はしていても必ずしも実行する用意があるわけではないということを意味していることを論じたい。

問合せ先:
松野明久(国際公共政策研究科)
Email: matsuno(a)osipp.osaka-u.ac.jp
Tel. 06-6850-5646
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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