『市民のための日本史』を早く(加筆)

『市民のための世界史』に対応する『市民のための日本史』を早く出すべし、と日本史の仲間たちには言い続けてきた。
高校「歴史総合」や「日本史探究」の中身を考えるにも必要なことだと思うのだが、今日あらためてその必要性を強く感じた。

それは--まことに申し訳ないのだが--この春刊行された『大学でまなぶ日本の歴史』(吉川弘文館)を途中まで読んだためである。木村茂光先生ほか帝京大学の先生たちによるこの本の出版を知ったときは「先を越された」と思ったのだが、その後忙しくて今ごろになって読み始めたところ、「これはいかん、もっとましな教科書が必要だ」と感じた次第である。

まえがきにあたる「オリエンテーション」で、本書は章編成と各章の小見出しは各著者間で意思統一したが、各章の叙述内容は執筆者に委ねたので、文章の流れや文体などで雰囲気の違いがあるかもしれない、と言い訳しており、11人の著者に41章を分担執筆させた編者の苦労は推測できるの。『市民のための世界史』にも編集不十分な箇所はいろいろあり、批判に対して「ないものねだりをされても困る」と逆切れしたこともある。だがそれにしても、この本には「文章の流れや文体」ではすまない欠陥がある。
なおこの本は「オリエンテーション」で、すべての歴史叙述が選択の産物であることを述べ、中学・高校の多くの教科書と同様、政治的敗者や弱者の視点が弱いこと、政治的中心地でない普通の村や町がほとんど叙述されないことなどの限界も自認している一方で、用語の羅列でない詳しい事象の説明もあちこちに見られる。とはいえ、本書は大学教科書によくある「テーマ史の集合体」ではなく、高校日本史Bに近い通史型の叙述をしているように見える。在地社会や民衆の動きは比較的詳しいが、中央・全国の政治・軍事史など「上部構造」も軽視しているわけではない。

ところが、先史・古代から順番に読んだ私は、室町時代の章を読むまで、この本はいわゆる文化史を扱わない方針なのかと思っていた。たとえば奈良・平安時代の文化について、仏教を別とすると特段の記述はない。万葉集も源氏物語も出てこない。ところが室町時代や安土桃山時代、江戸時代などはそれこそ「教科書的な」、北山文化・東山文化だなんだという文化史の記述がある。これははっきり言って編集が杜撰だったのではないか。戦国時代の章で最後のページに18行分ほど余白があるが、その章では石見銀山も後期倭寇も南蛮貿易もひとことも出てこないというのも、一国史の枠組みより編集の手抜きが問題かもしれない。中世前期のところで権門体制論を紹介しながら仏教については「鎌倉新仏教」の叙述を再生産するなど、黒田俊雄先生が生き返ったら激怒しそうなところもある。

編集の問題だけでなく、対外関係史・海域史がとても軽視されていることは疑いない。10日ほど前に読んだ村井章介さんの『日本中世史4 分裂から統一へ』とはひどく対照的である。
たとえば中世の章で、琉球史や北方史の記述はない。江戸時代の章でも鎖国の対象としてはヨーロッパ人が出てくるだけで、中国人の貿易がどうなったのは書いてない。戦国時代の章には石見銀山も後期倭寇も南蛮貿易も(堺の繁栄も)出てこない一方で鉄砲とキリスト教徒の伝来は書いてあるという点と合わせ、古いタイプのヨーロッパ中心史観が温存されているともいえる。

内容の古さは、対外関係だけではない。中世・近世の章には「家」の成立と広がりの記述がない。本書には女性の著者が2人含まれているようだが、前近代についてはジェンダー視点はないようだ。これだけ研究が進んでいる気候変動などの記述も見られない。実は農業生産力の記述も少ない。江戸時代中期以降の貨幣改鋳の話はあっても(しかし田沼政権の経済政策を詳しく述べる中で南鐐二朱銀にはなぜか言及しない)古代・中世の貨幣の記述がない点に気づいたところで、「オリエンテーション」に書いてあったように、そもそも社会経済構造やその発展にも関心が薄いのかな、と感じた(階級・身分や地域・村落自治にはけっこうな関心が見られるが)。
科学技術史も特段の言及はない。「オリエンテーション」にクローチェやE・H・カーを引いて歴史が現代との対話であることを述べている点から意地悪く言えば、こうした古さはおそらく、最後の章の最後の節で掲げる現代と未来の問題が、少子高齢化という言葉だけは出てくるが、「成人男子が天下国家を論じる」視点に偏っていることと通底する。

なお悪口を重ねて恐縮だが、「オリエンテーション」には「各分野、各時代の最先端の研究者による「一番新しい「日本史」のテキスト」という自負も語られているが、かりにジェンダーのような「書いてないこと」には目をつぶるにせよ、中世仏教や戦国時代の対外関係など、書いてあることについても「一番新しい」に疑問符のつくところがある。

この本が示す歴史像と、現在構想されている歴史総合の内容(それは文科省や「政府財界」が一方的に決めて押しつけているのではない)とは、正直言ってとても大きな距離がある。これはちょっと大変だ。



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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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