「現実」のためには基本ルールを踏みにじって平気な人々?
今さらだが、国家の基本路線にかかわって選挙戦で「こうします」と積極的に議論しなかった事柄を、選挙に勝った後で「もともと言ってた」「今回も公約の隅
に書いてある」という理屈をならべて国会審議にかけること、まして強行採決することが、どうして基本的なルール違反(非立憲)じゃないんだろうか。
選挙の 勝利は国民の白紙委任を意味するという解釈が成り立つなら別だが、それじゃ投票は政権信任の儀式に過ぎない近隣の権威主義国家と同じじゃないか。特定秘密 保護法も安保法制もこの方法で押し通したアベ政権が、憲法改定もそのやり方で行くのを許したら、その国民は自分で立憲制を投げ捨てたことになる。「現実」のためには社会の基本ルールを踏みにじって平気な国民だと世界に示すことになる。それで、ルールを守らない隣国をどうして批判できるのか、わけがわからない。
選挙の 勝利は国民の白紙委任を意味するという解釈が成り立つなら別だが、それじゃ投票は政権信任の儀式に過ぎない近隣の権威主義国家と同じじゃないか。特定秘密 保護法も安保法制もこの方法で押し通したアベ政権が、憲法改定もそのやり方で行くのを許したら、その国民は自分で立憲制を投げ捨てたことになる。「現実」のためには社会の基本ルールを踏みにじって平気な国民だと世界に示すことになる。それで、ルールを守らない隣国をどうして批判できるのか、わけがわからない。
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