お釈迦様の手のひらで踊る~〈八紘〉概念と自民族中心主義~

北條勝貴さんの論文は歴史教育にたずさわる者の必読文献だろう。西洋史出身など漢文の素養のない人には読みにくい部分があるだろうが、日本史だけでなく世界史教員にとって大事なことが沢山書いてある。以下のような理解を抜きにして、日本人はもともと「和を以て貴しとなす」の精神を持っていた、などと教えてはいけない。
アイドル議員の国会質問で注目された「八紘一宇」の概念は、
・「八紘一宇」そのものは1930年代に創られた言葉であり、日本書紀に書かれたもとの概念(八紘為宇)も神武天皇の時からあるわけはなく7~8世紀の政治状況に合わせた創作である。
・それがかりに「和」の思想を示すとしても、服従しない敵への血なまぐさい殺戮を前提とした、服従する者への恩恵的な「和」にすぎない。
・しかもそれは『文選』などを通じた中国古典からの借り物であり、日本オリジナルどころかその正反対である。その中国の思想(秦漢時代に成立)は、中国皇帝による、本来の中華世界の外にある蕃夷の世界までを征服・支配するというイデオロギーを表現したものにほかならない。
いや。明快。要するに日本の国粋主義は昔も今も、中華というお釈迦様の手のひらの上で踊っているわけだ。それが「自分もお釈迦様に負けない力をもつんだ」とか「横暴なお釈迦様を打倒する」とか叫ぶんだから、いや滑稽だ。
さて、日本書紀のこの話が神武天皇の橿原遷都の詔に出てくるというので思い出すのは、われらがタンロンの李公蘊(李太祖)による「遷都詔」である。これがどういう中国古典を踏まえて書かれどんな世界像を主張しているかという研究は見たことがないが可能であろう。分析結果によっては、外国人だったらベトナムに入国できなくなるかもしれないが(笑)。
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