「政治的中立性」とは高校生に棄権しろと教えることか?~学校と選管の役割の違い

昨日の毎日新聞夕刊(大阪本社管内)の「ぶんかのミカタ」欄は、松下良平氏(武庫川女子大教授)の「18歳からの一票下」。ネットにはまだ出ていないようだ。

 たしかに学校では特定政党の指示や反対のための教育は許されない(教育基本法14条2項)。だが中立性の意味を曲解すると、政治について「判断力」(学校教育法30条2項)を養えなくなるおそれがある。政治的判断とは多様な見解のいずれかをより重んじることであり、その点では中立はありえないからだ。今日の若者たちは政治に関心があっても、政策の読み解き方がわからない、という声をよく聞く。両論併記の情報提供にとどまれば、手に余る情報を前に、かえって政治判断に尻込みする若者が増えるかもしれない。
 主権者教育に欠かせないのは、自ら政治判断を下し、他者の見解に照らしながらそれを批判的に捉え直す実践である。そのとき政治的中立性とは、政治的判断の自由を保障し、他人や周囲に流されないよう自律を促すことである。そのためには教師が「他者」となって、異質な(偏った?)見方を紹介することも必要になる。
 一方、この自由や自律を尊重せず、いかに人をうまく騙すかに腐心してきた人ほど、己の似姿を恐れてか、「偏向教育」に神経を尖らせるようだ。歴史を顧みればわかるが、おそらく彼らはSEALDs(シールズ)のような「まつろわぬ」若者の台頭もまた恐れている。

大賛成である。言いかえれば、学校に「政治的中立性」を求める議論の多くは、学校と選管をいっしょくたにしている。
それでは、政治に「唯一の正解」があるかのような誤解は永遠に払拭できない。それでは一党制は可能でも民主主義は維持できない。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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