ヨーロッパ中心史観という「心配を忘れられる隠れ家」

日本史の保立道久さんがツイッターに下の問題に関わることを書いていたので引用させていただく。実に適確。「心配を忘れられる隠れ家」
https://twitter.com/zxd01342

岩波書店の『図書』が届いた。私は、この雑誌を読むのが好きである。それがどういうことかというとホットするのだと思う。奇妙なことだが、私たちの世代はヨーロッパ中心の教養と知識にふれると、何の役に立たなくても、安心するのだと思う。
けれどこの安心が問題である。内容の半分が早く東アジアと日本の教養世界の事柄となり、次が中東となり、そしてそれらをヨーロッパと共通の感覚と論理で読めるようにならなければならないと思う。一言でいえば現状の日本社会にとっては高級で上品すぎるのだ。これは心配を忘れられる隠れ家のようだ。
隠れ家をなくそうというのではない。隠れ家を広くしようというのだ。そこからどこへでも出ていける広い隠れ家。それは隠れ家とはいわないか。しかし、老子ではないが、そこから遠くをみることができれば、 人は死を怖れず、慌ただしく移動することはやめて静かに生きることができる。普遍的な隠れ家。
(ここまで引用)

年配世代が「安心」するのはいいかもしれないが、しかし、日本人がもつ「外国人イコール西洋人」という感覚が子どもの間でも再生産されている状態を放置していいのだろうか(知識としてテストをすれば来日する外国人の圧倒的多数が中国・韓国・台湾などの人々だと答えられるのに)。教育界やマスコミ、影響力のあるポピュラーカルチャーに携わる人々には、この問題で上の世代が犯してきた「原罪」を認識してほしい。



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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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