新しい歴史学のために(続き)

昨日の檀上・井上論文の話の続き

ベトナム黎朝・阮朝の南郊壇が3段あり天地を合祀するものだったという井上論文の指摘は、さきごろユネスコ世界遺産に登録されたタインホア省ヴィンロク県の胡朝城、つまりタンロン(ハノイ)から遷都した胡朝(1400-07年)の都城の南郊壇にさかのぼるものだろう。南郊壇あるいは圜丘壇は李朝からあったようだが、その形状はわかっていない。

もうひとつ、井上論文は黎朝の「敬天」にふれているが、そこでは黎朝タンロン宮城の正殿が敬天殿と命名されたこと(阮朝期のテラスが残るその跡地は、仏領期~解放後の軍司令部となり、現在は「タンロン皇城遺跡」の管理事務所が置かれている)にふれるべきだったろう。

なお、檀上論文は中国の「天下」観念を取り上げていたが、「天下の租税を免じた」「天下の諸府路に文臣を任命した」など、ベトナム年代記にもたびたび天下の語が見える。網羅的に検討すべきだが、概ね「全世界」の意味ではなく、ベトナム(大越)の支配領域を指して使われているように思われる。この問題を中世の側から考えるには、山崎覚士さんが論じている五代の天下観なども考慮に入れるべきだろう。私見では、大越帝国は10世紀の出発点において、「十国」ならぬ「十一国」のひとつとして出発した。

夜。ずっと前にハワイで買って、家にしまったままにしてあった飾りロウソクに、思いついて火をつけてみた。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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