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水中考古学と高麗青磁

今日は海域アジア史研究会例会で東洋陶磁美術館の高麗青磁特別展の見学。新安沈船以来の水中考古学によって発見された遺物がまとまって紹介されており、2年前に木浦に行ったときに見学したものも含まれているが、とても興味深かった。

最初に館員の鄭銀珍さんが高麗青磁の研究史について解説してくださり、その後に見学したのでとてもいい勉強ができた。浙江省や開封など中国から高麗青磁が見つかっており、だから寧波から日本に向かう新安沈船に高麗青磁が積んであったのも中国を中継した日本輸出と理解できるというのが興味深かった。
もう1点は馬島船など高麗の地方から都に年貢を運ぶ漕運船と思われる船から出ている木簡の話がとても参考になった。特定の土地の収租権ないし収益取得権を特定の官人や寺院その他に与える私田から、私田の受給者に品物を送る際に添えた送り状の木簡が、国家や官庁が直接管理する公田からの米などの送り状とならんでたくさん見つかっているのは、私田も中央や他の土地にいる受給者が「自分で取り立て」しなくても国家の力で取り立て・運搬ができていたことを示す(だれも読んでくれないが、私には中世ベトナムの公田・私田と高麗のそれを比較した論文があり、この問題にはすごく興味があるのだ)。
またそういう運搬品の一種として青磁が扱われていることは、展示のキャプションによれば、私田受給者が一般の租を青磁に替えて送らせたものと解釈される。だとすれば日本の荘園で代銭納が行われたように、青磁が貨幣機能(何にでも替えられる一般的等価物としての)を持っていたために取り立てた雑多な現物をわざわざ送る面倒を避けるがことできたのだろうか。都でそれを他の必要な品物に替えることができたのだろう。また鄭さんの話では、近代に外国人に高麗青磁が注目されたきっかけは墓から出てきた品だったという。多くの墓から青磁が出るということだが、青磁はただの威信財というより、埋蔵銭と同様に価値の保蔵手段という意味は持っていなかっただろうか。

終了後は大阪駅前第3ビル地下の沖縄料理「島唄ライブ琉球」に久々に行く。ひーじゃー(ヤギ)の刺身を、たぶん沖縄以外では初めて食べた。そのうち島唄が始まり、最後はお客もみんなでカチャーシーを踊る。3日連続の飲み会で心配だった胃の調子もなんとか無事で、泡盛を飲んでしまった。
昨日の夜からとても暗澹たる気分だったが、少し気が晴れた。

帰ったらCSのクラシカ・ジャパンでバレンボイムのベートーベン・ピアノソナタ集をやっており、悲愴・月光など子どものころ散々聞いた曲をやっている。その次はカヴァコスという人が弾くベートーベンのバイオリン・ソナタ「春」が始まった。次はクロイツェルも弾くようだ。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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